えー、先週、ケガをしまして。右足を。それで縫合したんですけれども。5月21日の記事「金環日食」に詳しくは書いてあるんですが。
それで、無事、抜糸しまして、先日。
それで、あのー、心優しい方々からですね、ご心配の声をいただきましたので、いちおう、ここでも、もうほとんど大丈夫だよ! ということで、「抜糸しました」報告をします。
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。
さて、前回のエントリー「ポピュラー音楽における踊りの盛衰」では、田村和紀夫による踊りとポピュラー音楽史の関連性の説明へツッコミつつ、「あんた、その考え方だとダンスミュージックも相当芸術的ですけどいいんですか?」というワタシなりの持論を展開しました。今回は、「もう、ちょっと、田村さん! 卑怯ですよ! 今までさんざん「芸術」持ち上げるような口ぶりで! 最後に踊りの音楽を持ち上げるなんて! ツンデレ? ツンデレか?」といったところでしょうか。
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。
さて、前回のエントリー「舞曲への接近 — 大衆化」では、田村和紀夫による、音楽において踊りの要素が増えることでこの「芸術性」が薄れ「大衆性」が濃くなる(p. 112 – 113)という意見に対し、ちょっと待てこのヤロー(つまり、「芸術性」ってそもそも何? というか「芸術性」という単語が無批判に価値の高いといったような意味で使われていないか?)とツッコミを入れてしまったのですが、今回もその延長です。話題はポップスになります。 続きを読む
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、本記事中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。
さて、前回のエントリー「踊るための音楽は明快?」では、バッハとモーツァルトが比較されながら「踊りの音楽」は「単純」「明快」だという田村和紀夫の説明に対して、「本当か?(笑)」とツッコミを入れたところです。
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。
さて、前回のエントリー「拍子と表現」では、西洋において記譜法が発展するに連れて、音楽におけるリズム法は精妙になっていった(p. 105)、という田村のリズムについての考え方をみました。ただ、これに関しては、記譜法が発展・確立する以前は、田村和紀夫のいう「精妙なリズム」を書き記す手段がなかっただけなのではないか、という意見が出てきそうですが。いずれにせよ、実証することはできません。 続きを読む
※エレクトロニカ・アーティストの Asuka Tanaka による、今回の金環日蝕をテーマにした楽曲
今日は金環日蝕でしたね。
ワタシは築地にある、某病院前の交差点で観ました。見晴らしが良かったとは決して言えないんですけれども。
5月4日に、Beastie Boys の MCA が亡くなって、そりゃー、もう、ワタシの周りでも RIP 連発だったんだけど、ワタシも御多分に洩れず、「えー!?」という感じだったんですが。
少し遅くなりましたが、ワタシの Beastie Boys への思いの丈を語らせていただきますと、いや、別に Beastie Boys が解散したとか、そういうわけではないんですけれども。
ヒップホップユニット、アウトキャスト Outkast のメンバーであるアンドレ Andre 3000 が主演する、ジミ・ヘンドリクス Jimi Hendrix 伝記映画『All Is By My Side』が制作開始! と情報が流れて、テンションがあがったのが、連休明けの5月8日だったんですが、
Youtube の Cut Chemist オフィシャルチャンネルに新作 PV がアップされていました(公開日: 2012年5月1日)。