踊りの根源性

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「ポピュラー音楽における踊りの盛衰」では、田村和紀夫による踊りとポピュラー音楽史の関連性の説明へツッコミつつ、「あんた、その考え方だとダンスミュージックも相当芸術的ですけどいいんですか?」というワタシなりの持論を展開しました。今回は、「もう、ちょっと、田村さん! 卑怯ですよ! 今までさんざん「芸術」持ち上げるような口ぶりで! 最後に踊りの音楽を持ち上げるなんて! ツンデレ? ツンデレか?」といったところでしょうか。

田村和紀夫は、バッハの音楽における「踊り」の要素について分析した後、次のように述べます。

「しかし様式化された舞曲の支配が、組曲の内部で減じていったとしても、バッハの音楽に踊りの要素がないことにはなりません」(p. 117)

そうなんすよねー、完全にバッハ素人であるワタシの意見を言わせていただきますと、けっこうですね、バッハの《ブランデンブルク》の第3番(BWV1048)、特に第3楽章とかね、完全にダンスミュージックなんですよ。あと無伴奏チェロの第1番(BWV1007)。ワタシはこれを聴きながら、脳内でディープファンクっぽいビートを補完しています(笑) いつかリミクス作る!

ちょっと話がそれましたので、引用に戻りましょう。

「そもそも「身振りのリズム」はいつでも音楽を活気づけています。それが音楽の生命力の源だからです。ベートーヴェンの音楽のダイナミズムはそれなしには考えられません。オペラ・ブッファやロックなど、ジャンルを超えて、いつでもリズムは音楽に生命を付与しているのです。しかしバッハにおいてはそれ以上かも知れません。」(p. 118)

もう少し引用します。

「すでに見たように、音楽が踊りから離れていく過程を「進化」とみなすことさえあります。しかしそれは踊りの音楽の根源性を表すのかもしれないのです。少なくともバッハにとってはそうだったのです。」(p.119)

と! いうことで田村さんのツンデレっぷりが爆発していますが(笑) ぜひですね、今後、「田村和紀夫 ツンデレ」で検索していただいてこの記事に辿り着く方が出てくることを期待しておりますけれども(笑)

いや、まあ、確かに未だ、「根源」という単語を良い意味で使用しているかどうかは分かりませんけれども、ここだけでは。でもですよ、この引用部分の直後にこう書いているんですよ。「バッハにとってリズムは根源であり、また究極である」(p. 119)。これは「根源」という単語を良い意味で使用していると言ってもいいのではないでしょうか(笑)

まとめると、こうです。

「踊りの音楽なんて大衆的なんだからね! 芸術性は低いんだからね! べ、別に踊りの音楽なんて好きじゃないんだからね!」(p. 110 – 118)

「リズムを強調する踊りの音楽は、音楽の根源性を表す、って、言いたかったことが何で分かってくれなかったの・・・」(p. 119 – 121)

まあ、どういうお顔で言っていらっしゃるかは、「田村和紀夫」で画像検索すれば良いのではないでしょうか。なかなか愛くるしいご尊顔です。


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