舞曲への接近、大衆化

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、本記事中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「踊るための音楽は明快?」では、バッハとモーツァルトが比較されながら「踊りの音楽」は「単純」「明快」だという田村和紀夫の説明に対して、「本当か?(笑)」とツッコミを入れたところです。

さて、今回はもうちょっとシビアなツッコミをしてしまいそうですが。えー、「芸術」という単語が出てきます。ちょっと困るんですけどー、芸術とか言われちゃうとー。

「重要なことは、この「音楽の平明化」が時代の流れと呼応していたことです。〔中略〕今や音楽は市民生活へ流出し、浸透していきます。新しい聴衆が求めたのは「楽しさ」であり、「わかりやすさ」であり、「心地よさ」でした。その時、音楽を平明化する踊りの音楽が、決定的な役割を果たしたのです。つまり舞曲は音楽の大衆化に寄与したということです。もっとも、楽節構造のあまりの単純化は「芸術性」をおとしめる危険性を孕んでもいたのですが」(p. 111 – 12)

ウギャー! 何じゃそりゃ・・・、です。これだとですよ、市民はそれまで「音楽」に接する機会がなかったかのような、そういうことになってしまいますよね。ただ、市民には市民の音楽が存在したはずなのです(金澤正剛『古楽のすすめ』参考)。これを考慮に入れると、こうした書き方は絶対にできないはずなのに!

いや、分かりますよ、解り易い説明を心がけなければいけなければならないのは。しかしコレではあまりにヒドいような気がするのですが。

しかも芸術! 芸術って何ですか! これだと「平明化」以前の音楽は音楽的価値が高く、「平明化」以降の音楽は音楽的価値が低い、と捉えられてもおかしくないですよ、もちろん、そういった意味ではないとは思いますけれども。

もう少し引用して終わりにします。

「とくに古典派音楽の成立過程では舞曲がビミョウに絡んでいたことがわかります。すなわち、楽節構造においては踊りの音楽からの強い影響を受け、楽章構成からはバロック舞曲を閉め出していたのです。舞曲からの離反が音楽の「芸術化」を意味するとしたら、大衆化と芸術化という相反するようなベクトルが、同時にはたらいていたことになります。「大衆性」と「芸術性」の止揚が古典的であるとしたら、踊りはこれら両方の局面で、ポジティヴとネガティヴにかかわり合っていたのです。当然、音楽史の記録としては残らない大衆音楽のなかで、舞曲が反乱していたというもうひとつの側面もあります」

あー、これ、言っちゃいましたね、これ、「ネガティヴ」っていう価値的意味の有する単語使っちゃいましたね、これ。まー、どっちがどっちかは指示していませんけれども(笑) 要するに、「大衆化と芸術化」はどちらが「ポジティヴ」で「ネガティヴ」なのか、っていう(笑) というツッコミもむなしいくらい、大衆化 = ネガティヴ、芸術化 = ポジティヴ ということなのでしょうね。

しかしまあ、びっくりしましたね、ここまで断定的に「芸術」を価値の高いという意味合いで使用している文章に久しぶりに出会いました。

あのー、最後にワタシなりの芸術への考え方を述べますと。客観的な芸術性などというものはありません。歴史の認めた芸術というのは、確かに、今日でもその量的影響力の凄まじい点を否定できません。しかし、それだからと言って、万人がそれに価値を認める必要はありません。万人? われわれは万人ではありません。万人ではあり得ないのです。われわれは単独者なのですから。そもそも単独者として実存しているわれわれに共通の、人間の創作した芸術的価値基準などというのは、ありません。絶対にありません。


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