拍子と表現

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

リズムの定義
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第4章 音楽はリズムである」のノートです。この章を通じて、「リズムとは何か」について...

リズムの定義(2)
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第4章 音楽はリズムである」のノートです。この章を通じて、「リズムとは何か」について...
リズムと拍子
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中...
拍子、運動、エネルギー
田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中...

田村和紀夫によりますと、リズムは「音楽の生命の源である「何か」」(p. 95)です。そしてこうした「リズムが生命を獲得するには、拍子というシステムが必要」(p. 99)とのことです。この場合の拍子とは、単なる強弱の周期性ではなく、エネルギーの循環・流れのある運動なのだそうです(pp. 97 – 98)。何となく分かった気にさせてしまう(笑)、ちょっと怖い説明なのですが、とにかく田村は、「拍子」という観点から、「リズム」の「何か」を説明しようとします。

さて当エントリーでは、第4章の6節目、「拍子と表現」という箇所から、拍子のシステムの完成がどのように西洋音楽における表現へと影響を与えたか、という説明を読んでみたいと思います。

「重要なことは次の点です。「拍子によって、音楽はすべて固定した時間枠に押し込められてしまったのではない、ということです。〔中略〕むしろ、ある基準となる時間軸を設定したということは、そこから逸脱する無限の可能性を拓いたということなのです。そしてさらに強調しておかなければならないのは、そうした逸脱が、逆に、音楽を根底で衝き動かしている太い推進力へ還るということです」

要するに、 或 る 物 事  を 決 定 し た こ と に よ る 例 外 の 発 生 が、そ の 物 事 を 発 展 さ せ る きっかけになる。音楽の場合は、それが「リズム」だった、ということです。

「こうした精妙なリズム法を可能としたのは、明らかに、西洋の記譜法でした。」(p. 105〔〕内は引用者)

んー(笑)、まー、たぶん、ちょっと言い過ぎのような気がしないでもないですが(笑) 確かに拍子のシステムを確立した後のそこからの逸脱としての複雑なリズムの発生、ということもあり得るのでしょうし、あくまで文献学的・考古学的には 残 さ れ た も の を基準に考えざるを得ないので、そう言い切るしかないでしょうけれども。しかし 残 ら な い も の として音楽の特性を考えた場合に、自然発生的なリズムをなんとか拍子のシステム上で記述しようとした、ということも想像できるのではないでしょうか。もちろん、もちろんですよ。これは実証できません。し、これらは相互に影響し合っていると思います。

というツッコミを入れつつ、後は、田村による「拍子と表現」の説明から、西洋音楽の歴史の一部を謙虚に学びます・・・

「西洋で拍子のシステムが完成したのは十七世紀中葉でした。もともと楽譜に書き込む小節線は総譜における演奏上の便宜から書かれ、拍子記号は音符を分割する記号でした。いわゆるバロック期にこれら二つが組み合わされ、縦線で区切った小節内における音価の基本単位を拍子記号が示すという、現在の楽譜のシステムができあがったのです」(p. 105 – 106)

ふむふむ。前回のエントリー「拍子、運動、エネルギー」で、「拍は単に強弱として捉えるべきではなく、エネルギーの循環・流れのある運動として捉えられるべき」という田村の説明(を私が言い換えたもの)を紹介したのですが、西洋音楽においてこのことを理解するためには、楽譜の成立についてもう少しツッコンで学ぶ必要がありそうですね。

はいー、とにかく田村さんは、拍子のシステムの確立が西洋音楽の発展の重要な一端を担っていたと言いたいようですが、このことにつてもう少し引用して終わりにしましょう。

「いや、それだけではありませんでした。そこから近代的な「表現」の可能性が拓かれたのでした。さらに拍子は音楽の文脈上にさまざまなニュアンスをもたらし(たとえば強拍での断定的な終止を「男性終止」、弱拍での柔らかい終止を「女性終止」というように)、生きた言葉のような表情付けを可能としたのです」(p. 106)

んー、ちょっとですね・・・、「楽譜」という考え方と「音楽行為」との間で揺れているというか、これだとあたかも、楽譜上での拍子のシステムが成立する以前は、近代的なリズムが存在しなかったような言い方ですけれども。楽 譜 上 で の 拍 子 の シ ス テ ム が 成 立 す る 以 前 は 、 近 代 的 な リ ズ ム を 記 し 残 す 手 段 が な か っ た と言った方が良い気がしないでもないです。


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