「 田村和紀夫 」一覧

ミュージシャン以外が書いた, 超・具体的な音楽批評 7 選

ぼくのりりっくぼうよみのツイートに端を発する一連のやりとりの togetter をみて,

ミュージシャンサイドにだいたい同意しつつ, でもそれは相当ピュアな理想でそれを実現するのはかなり困難ななのではないか, と思っていたところです. 続きを読む


音楽について「書く」ということ

新年1発目の記事があまりにもアレな内容でしたので(笑)、ちょっと2発目はマジメ路線でいきたいと思います。テーマは音楽と言語。ちょっとデカ過ぎですか(笑) G・トラシュブロス・ゲオルギアーデスによる同名の著作(『音楽と言語 (講談社学術文庫 (1108))』)もありますが。まあでも、全く文献的裏付けのないままに、思いつくままに、あ、アレですね、エッセー的な感じでですね、書きますので。気軽に読んでいただければと思います。 続きを読む


田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第4章 音楽はリズムである」ノートまとめ

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートが、思った以上の量になったので、本当は第5章、第6章のノートを作成してからまとめようと思ったのですが、とりあえず先にここまでの分をまとめます。

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音楽の根源的な姿

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

前回のエントリー「バッハ《ロ短調ミサ曲》BWV232における「踊り」性」では、バッハを例に、踊りが音楽にとって如何に根源的であるか、が田村和紀夫によって説明されたのですが、今回はその続きです。

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バッハ《ロ短調ミサ曲》BWV232における「踊り」性

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「踊りの根源性」では、田村和紀夫のツンデレっぷりが開示されたわけですが(笑)、今回のエントリーは本書 第4章の結びの節「音楽の根源的な姿」をみてみたいと思います。

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踊りの根源性

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「ポピュラー音楽における踊りの盛衰」では、田村和紀夫による踊りとポピュラー音楽史の関連性の説明へツッコミつつ、「あんた、その考え方だとダンスミュージックも相当芸術的ですけどいいんですか?」というワタシなりの持論を展開しました。今回は、「もう、ちょっと、田村さん! 卑怯ですよ! 今までさんざん「芸術」持ち上げるような口ぶりで! 最後に踊りの音楽を持ち上げるなんて! ツンデレ? ツンデレか?」といったところでしょうか。

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ポピュラー音楽における踊りの盛衰

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「舞曲への接近 — 大衆化」では、田村和紀夫による、音楽において踊りの要素が増えることでこの「芸術性」が薄れ「大衆性」が濃くなる(p. 112 – 113)という意見に対し、ちょっと待てこのヤロー(つまり、「芸術性」ってそもそも何? というか「芸術性」という単語が無批判に価値の高いといったような意味で使われていないか?)とツッコミを入れてしまったのですが、今回もその延長です。話題はポップスになります。 続きを読む


舞曲への接近、大衆化

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、本記事中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「踊るための音楽は明快?」では、バッハとモーツァルトが比較されながら「踊りの音楽」は「単純」「明快」だという田村和紀夫の説明に対して、「本当か?(笑)」とツッコミを入れたところです。

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踊るための音楽は明快?

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「音楽史と舞踏史」では、「舞踏史は音楽史以上に正確に記述することが難しい。しかし、中世にも踊るための音楽は存在した」という説明をみました。今回のエントリーはその続きです。

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音楽史と舞踏史

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「拍子と表現」では、西洋において記譜法が発展するに連れて、音楽におけるリズム法は精妙になっていった(p. 105)、という田村のリズムについての考え方をみました。ただ、これに関しては、記譜法が発展・確立する以前は、田村和紀夫のいう「精妙なリズム」を書き記す手段がなかっただけなのではないか、という意見が出てきそうですが。いずれにせよ、実証することはできません。 続きを読む


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