音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を読みながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。
さて、『音楽とは何か~』によると、音楽には「描写能力の限界」がある。これについては、次のように述べられます。
んー、これはどうですかね。確かに、感情を描写するためには「気分や雰囲気」しか描写できないとは思いますがー、えー、でもそうか・・・、「雰囲気」だもんな・・・、そうなんだよね・・・。
何でこう、迷っているのかというと、いわゆる ミ ュ ー ジ ッ ク コ ン ク レ ー ト とか、ポピュラー音楽における サ ン プ リ ン グ とかって、かなり具体的なのではないかなあ、と思うわけです。もちろん、ここで分析の対象になっているのが、ヘンリー・パーセルなので、お前の好きなヒップホップと一緒にするな! とスルーされそうですが(笑)
でもどうなんでしょう、例えば、私の大好きなマシュー・ハーバート Matthew Herbert の作品に《One Pig》という素晴らしい豚作品があるのですが、
お聴きいただいたら分かる通り、かなり豚(笑) なんですよね。豚が悲しそうに鳴いているのがよーくわかる。このアルバムを最後まで聴けば、豚がなぜ悲しそうなのか、最後は切り刻まれて食べられてしまうからなんですが、そういったことも分かる。ということは、音楽が「気分や雰囲気」しか描写できない、というのは、いわゆるミュージックコンクレート出現以前のクラシック音楽に限定されるのではないか、と反論できそうなんです。
しかししかし(大事なので逆接を2回言いまして強調してみました)、《One Pig》で描写されているのは、 豚 の 悲 し み の 理 由 までであって、豚小屋がどこにあるのか、とか、食べられたときのレストランの名前とか、地名、とか、そういうものまでは描写していないんですよね。
ということは、音楽が「気分や雰囲気」しか描写できない、というのは間違っていない、ということになりますね。
まあ、「音楽をどこまで具体的に表現できるか」を追求するのも、面白いかもしれません(笑)