音楽は内面世界の言語である

音楽における表現について、田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』「第三章 音楽は表現である」を読みながら、あれこれ思い巡らしているところです。こちらも参考にしてください。

さて、『音楽とは何か~』によると、音楽は「気分」や「雰囲気」しか描写できません。しかし、だからこそシューマンの呼ぶ「フモール」を表現できる、そしてこの点にこそ、表現としての音楽の魅力がある、と言えます。

そして、「第三章 音楽は表現である」の結論として、次のように述べられます。

「わたしたちは「物の世界」を生きていると同時に、「感情世界」をも生きています。ロマン派音楽の表現が感情世界で何らかのコミュニケーションを果たしているとしたら、言葉や絵画のように「羊」を描けないとしても、それが音楽の欠点であるとは言えないはずです」(田村和紀夫(2011) 『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』講談社 p. 90)

「というのも、音楽はわたしたちが生きている内面世界のかけがえのない言語かもしれないからです。そこに音楽固有のものと、その素晴らしさがあるとしたら、私たちの生活の大きな恵みであるはずです。なぜなら、それはわたしたちの精神生活を豊かにするものだからです」(同書 同ページ)

どうも「内面世界」に限定し過ぎという嫌いがありますが、音楽の「曖昧」さは、むしろ音楽最大の魅力である、ということでしょう。ただ、こうして限定されると、その枠を外してみたい、というのが、作り手の気持ちではないでしょうか(笑) こういった音楽学者からの「音楽とは何か」という議論を受けて、さらにそれをブチ破ろうとする音楽家の営みがあって、音楽というのはどんどん面白くなっていくのかもしれません。

また、この部分に関してもう1つ気になる点は、「恵み」とか、「豊かにする」といった考え方でしょうか。どうしても、音楽を 役 立 つ もの、 必 要 な も の にしたいようです。たとえ逃れられないとしても、こうしたものからも逸脱するような音楽活動をする、といった、音楽家の営みがあって、それが音楽全体を面白くするのではないでしょうか。

なお、「必要」なものとしての音楽については、高橋悠治が興味深い発言をしています。


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