田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』

著者の理想とする音楽というものがあって、各章で事例を挙げながら、それを正当化しているだけなのではないか(もちろん、ほとんどすべての「~とは何か」という問いにたいする記述は、このような性格を有するのだが)。だから、著者の理想から漏れる音現象は、議 論 の 余 地 が あ る として音楽として認められない傾向がある。しかし、議論の余地がある時点で、音楽として認められているという事実を、見過ごしてはならないだろう。ということは、(おそらく著者が「音楽とは何か」という問いの前提としている) 万 人 に 音 楽 と し て 認 め ら れ る のではなく、 或 る 者 に と っ て 音 楽 と し て 認 め ら れ て い る と こ ろ の そ れ とは何であるか、という問いから始めなければならないのではないだろうか。

また、(もしこういったそれが事実、存在するとしたらであるが、)音楽の 本質 と著者が言った場合、その根拠を歴史的(=文献学的)・考古学的な古さに求めている点も同意しかねる。文献学的・考古学的な 古 さ は、常に更新される(更新されるからこそ、そこに学としての意義が認められる)。そのため、あるいは著者と私との間に「本質」という単語への理解の差があるかもしれないが、こういった古さだけで以って音楽の 本 質 をそれとして仕上げることは限界があるであろう。

なお、以上のような問題が解決されたとしてもなお、音楽の 本 質 についての記述にしてはあまりにも、音 色 についての無頓着なのではないか。

最後に、これは大した問題ではないかもしれないが、著者の自説を補うために(もしかして自説の基盤とするために)哲学者を引用し過ぎではないか。これに関しては、「エピローグ ———結語に代えて」において事情に詳しいのだが、(お前が言うなという感じだが、)もう少し繊細に術語を使用していただきたかった。


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