すごく単純な事実ですが, 音楽は音楽だから魅力的です. というと身も蓋もない言い方ですので, もう少し詳しく言えば, ある楽曲の歌詞がどんなに (たとえば) 文学的に優れていても, リズムやメロディー, コード進行, 音色などなど音楽を構成している要素がカッコ悪ければ, その歌詞はカッコ悪い.
歌詞を書くことだって音楽的な行為
このことは, 音楽を構成している要素がカッコ良ければ歌詞はどうでもいいということを意味しません. というのも, 歌詞も (歌詞がついている楽曲であれば) 音楽を構成する要素として欠かせないからです. 歌詞は声に出される限り音であり, そして声に出された音は音楽を構成する要素になりうる. たとえば歌詞を書く際, たくさんある同義異語のなかからどういった言葉を選ぶかは, カッコいい音を追求するといういう点で非常に音楽的な行為です.
ある楽曲の歌詞が強い文学性を獲得しているとすればそれは, 歌詞単体に独立した文学性があるのではなく, 音楽が歌詞に文学性を与えている, とまで言っていいかもしれません.
視点を変えれば「歌詞がいい」という褒め言葉は, 歌詞を歌詞たらしめている他の音楽要素がカッコいいということです.
しかしこうした単純な事実は忘れられがちです.
洋楽のラップは歌詞が分からないから聴く価値がない?
どういうわけか, 歌詞に独立した価値を見出したい音楽リスナーがいます.
どういったジャンルでも歌詞に独立した価値を見出したいリスナーはいるものです.
たとえば, ラップのリスナー. 彼らの一部には,「洋楽のラップは歌詞がわからないから価値が分からない」とか「トラックのよさだったら分かる」とかいったような意見をもつ方がいます. しかしこういった意見には賛同しかねます.
というのも, ラップの魅力は, もちろん歌詞にもありますが, たとえ歌詞が分からなくてもラップ自体にあるからです.「フロウ」とも言い換えられますね.
フロウとは何か
厳密に言うと, ラップとフロウは違います. ラップは現にいま聞こえているその歌唱法で, フロウはラップの仕方です. また, フロウには価値判断も含まれます. すこしややこしいですが, フロウしているラップ, フロウしていないラップというのがあって, しかしその両者ともフロウである. フロウしていないラップは, フロウしていないというフロウである. ややこしいので, 以後この文章では, 価値判断としてのフロウを〈フロウ〉と表現しましょう. そうすると先ほどの「フロウしていないラップは, フロウしていないというフロウである」は, 「〈フロウ〉していないラップは,〈フロウ〉していないというフロウである」と書き換えることができます.
それで話を戻すと, 洋楽のラップは歌詞が分からなければ良さがわからないのでしょうか. 確かに楽曲の真意は分からないでしょう. 英語が聞き取れなければ洋楽ラップの魅力の半分も理解できていないのかもしれません. というのも, 歌詞はすごく重要な音楽を構成する要素ですから. しかしだからと言って, 聴いて全く魅力が分からない, ということは決してありません. 前述の通り, ラップの魅力はラップの仕方, つまりフロウにあるのですから.
フロウにはどのようなものがあるのか, フロウを分類するとどうなるのか, フロウの要素とは何か, といった点については, ここでは詳しくは書きません. ごくごく簡単に分類すれば, リズムに焦点を絞れば, バックトラックのリズムに「合わせている」(「スクエア」という言い方がされます)か, あるいは「合わせていない」, とか. 音程に焦点を絞れば, メロディーに近い (楽譜で表しやすい) か, あるいは喋りに近い (五線譜で表しにくい) か, とか.
洋楽ラップはフロウで楽しめる!
こういったすごく単純なフロウについての分類を出発点にして聴き込んでいくと, 最近の US の (2015 年後半から 2016 年現在) ラップは, Migos 以降として, ミニマルなメロディーともとれない原始的な音程の上下っぽいのを執拗に繰り返すフロウが主流である. みたいなことを言うことができます. よりアジテーションっぽくなってるというか. Desiigner とかその典型.
ていう. 今年いちばん注目されてるのは Lil Yachty でしょうけど, 彼なんかはもっとはっきりメロウですよね.
とかいうことをいうことができます. 2016 年後半から 2017 年前半は 24 Hrs が注目されるんじゃないかな〜, みたいな.
ことを言うことができるんです.
こうやって聴いていっても, フロウを構成する要素には歌詞やライミングもありますので, やはり洋楽ラップの魅力の半分も分かっていないのかもしれませんが, しかし, フロウに注目することで洋楽ラップを楽しむことはできます.
ラップはフロウで楽しめる. ラップは歌唱スタイルですから, たとえ歌詞が分からなくても, どうやって歌唱しているかを楽しむことができるのです.
日本語ラップでもフロウを楽しもう
このことは日本語ラップでも同じです. 日本語ラップの場合, 当たり前ですけど日本語ですので, 聴きとることができます. ですから, 歌詞に耳がいきやすい. 聴きとることができなくても, 歌詞カードに書かれている日本語を読んで, いい歌詞だ, と思う. けど, 歌詞が聴きとりやすい・聴きとりにくいというのも, フロウの 1 つの在り方です. それ以前に, 歌詞がよくてもラップがよくなければ音楽として注目されません.
KOHH の魅力
「KOHH は歌詞がストレートでカッコいい」. 確かにカッコいい. すごく単純で分かりやすい歌詞だ. けど, あのラップだからこそあの歌詞が魅力的になる. KOHH の魅力は, 何よりもあのラップであり, 彼のフロウにあります.
彼のフロウは, ここ 2, 3 年のサウス, というかアトランタを中心とした流行を忠実にマネしたものです. (ここでは抽象的な言い方にとどめますが) 同じ文句の短いフレーズを執拗に繰り返し, その合間合間にシャウトを入れる. 小節の頭を巧妙に外してリズム的なズレを生む. さきほどの Desiigner と KOHH の作品を聴き比べたら分かるのですが, 本当にそっくりです (Desiigner は出身はニューヨークですので, 地域的にはサウスではありませんが, 音楽スタイルはサウスに近いと言って差し支えありません).
フロウだけでなくファッション, 特に髪型もそうですよね. Lil Uzi Vert とか Lil Yachty っぽい.
誤解してほしくないのは, マネしているのはダメだ, とここで言いたい訳ではありません. むしろ逆で, ここまで忠実にマネをできるのはスゴい, ということです. もし英語の, サウスのドキツいラップの歌詞を聴きとれたらきっとこういう感じに聴こえるんだろう, という体験を KOHH のラップは提供してくれるのです.
というか最近では, 単なるマネを通り越して, アトランタ・スタイルのラップを, KOHH のオリジナルのフロウへ昇華している感さえあります. Lil Yachty がアトランタのラップをよりメロウへ昇華することで独自性を獲得したように, KOHH は日本語というフィルターを通してアトランタのラップを完全に独自のものにしている (具体的にどういうふうに独自性をもっているかは, 機会があれば改めて書きたいと思います).
Frank Ocean への客演で, KOHH が証明したこと
KOHH の魅力は, 歌詞だけじゃなくて, 彼のラップ, フロウにある. ていうかあのフロウだからあの歌詞で許される (「許される」なんて言ったら怒られそうですけど (笑) ). Frank Ocean が注目したのも, まさにこの点, つまり KOHH のフロウにあるのではないでしょうか.
Frank Ocean が最新アルバムの CD 版に, KOHH をフィーチャーし, そこで KOHH が日本語(!)でラップしていることに注目が集まっています.
このことは, 言葉が分からなくてもラップの良し悪しが分かる, ラップの魅力はフロウにあることの証明だと, (日本人にとっての) その象徴だと言っても過言ではありません.
いや別に, Frank Ocean にインタビューした訳ではないので, 言ってしまえばぜんぶ妄想ですけど (笑). もしかして Frank Ocean がめちゃくちゃ日本語堪能で, KOHH の歌詞ヤバい, みたいになってオファーしたのかもしれませんが (笑).
仮に, たとえ, ないだろうけど, そうだとしても, KOHH の魅力はラップにあるし, ラップはフロウを楽しむものだ, ていう点は揺らぎません.