2015 年反安保デモのシュプレヒコールは Migos 的か?: 日本語とラップのリズムについてちょっとした考察

タイトルに「考察」なんてつけてしまったので, 少し大げさ感がありますが, そんながっつり日本語とラップのリズムについて考察するような記事ではありません. そもそも, 日本語とラップのリズムについて考察するのであれば, こんーなブログで収まるわけはないし.

この記事を書こうと思ったのは, 以下の web 記事で気になる点があったからです.

反体制的で、政治的メッセージを内包する「若者の音楽」の代名詞だったロック。ところが、昨年盛り上がりを見せた街頭デモで聞こえたのはラップです。「時代は変わった」と言えるでしょうか。

この記事の要旨としては, 2015 年の反安保デモでラップが取り入れられている, デモといえば反体制あるいは社会へのメッセージだ, 反体制あるいは社会へのメッセージと言えばかつてはロックだった, ではロックは反体制あるいは社会へのメッセージという役割を失っているのか, というと, 近年のオルタナロックにおいてその役割はまだ失われていない, その例がアジカンっていう. たぶんそういう感じの内容だと思います.

さて, この記事の内容が「ロックの社会史」的なのと合致しているかどうかはわかりませんが, 反体制の象徴としてのロックの起源を US に求めておきながら, また, オルタナの発祥は US に求めておきながら ( ていうかオルタナとグランジの微妙な違いを整理しろ ) , なぜ結論部分で日本に限定されるのか, とか, ミスチルがいちばんとがってたのは bankband より前の, 『深海』〜『BORELO』の時期でしょ, 「タイムマシーンに乗って」とか「傘の下の君に告ぐ」とか. ていうかアジカンがどうのこうのって 2010 年って言っておきながら, その前で学者の発言引いて「震災以降」とかどうなんすかね, ていう, こう, わたしの読解力がないのか, ツッコミどころがたくさんあるんですけど. ついで言うと. この記事を書いた方, この記事以外にも同じ web サイトにシリーズ的に 2 本, 記事を書いていらっしゃって, そのどれもツッコミの余地しかない, っていう.

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大和田「SEALDS は Migos 的」

どうツッコミを入れられるかはもうめんどくさいのでやめますが, ていうかこういう web 記事にいちいち本気でツッコミ入れてもキリないんで  ( ていう予防線. この記事に対するツッコミの笑 ), 本題にもどりますが.「デモの主役は、もうラップ? ロックはどこへ 叫ぶオルタナ世代」で, アメリカ文学研究者で, アメリカ音楽にも造詣が深く,『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』でサントリー学芸賞を受賞した大和田俊之の次のような考えが紹介されています.

「大和田教授は「安倍は/やめろ」のコールが二拍三連になっている点に着目。これは、2014年にヒップホップの本場米国アトランタで活動するミーゴスというラップトリオが流行させた節回しだといい、「そうしたコールが違和感なくできている時点で、若者の間にラップが自然に浸透していることがうかがえる」と話していました」

この考えに対して, いくつかの解釈が成り立つと思いますが, 大意としては, 2015 年反安保デモのシュプレヒコールと, Migos のラップには, 共通点がある, ということを言いたいのだろう, と. しかもその共通点は, 見過ごせない, 無視できない, もっと大胆な言い方をしてしまえば, 本質的な共通点がある, と. 大和田俊之は言いたがっていると.

Migos と SEALDS に共通点見出すの無理 ( 笑 )

では, 2015 年反安保デモのシュプレヒコールと, Migos のラップには, 共通点があるのか. 2015 年反安保デモのシュプレヒコールは, Migos のラップ的なのか. この点についてわたしとしては気になったんですが, 結論から言うと, 全く別物です. わたしがデモのシュプレヒコールを聴いた範囲では. さらに言うなら, 2015 年反安保デモのシュプレヒコールと Migos に共通点を見出してしまうと, Migos とかテン年代のデモとかそういうの以前の日本語のラップの特徴を見過ごすことになってしまいます.

大和田俊之は, 「安倍はやめろ」のリズムが「2 拍 3 連」であることを理由にして, Migos のラップと2015 年反安保デモのシュプレヒコールとの共通を指摘します. 確かに, Migos のラップはこまかく・しつこく  3 連符を繰り返すことに特徴があります. こまかく・しつこく繰り返すという点に, Migos のラップと, デモのシュプレヒコールとの共通点を見出したくなるかもしれません. しかし, 少なくとも,  2015 年反安保デモのシュプレヒコールと, Migos のラップは異なります. ではどう異なるのか.

すごく単純です. Migos のラップは多くの場合, 小節の 1 拍目から始まるのではなく, 2 拍目や 3 拍目, あるいはシンコペーション的な効果を狙って4 拍目から始まります. 場合によっては 4 拍目の裏からとか, そういうところから始まります. つまり, 巧妙に小節の頭を避けているわけです. なお, 4 拍に 1 回, は「イェー!」とか「ワォ!」とか, 「ウー!」とか,「ビッチ!」とか  ( 笑 ) , あとまあ, 歌詞で叫びやすいフレーズとか, そういうシャウト ( ? ) が入ることがあります. シャウト ( ? ) に合わせて, 小節の頭を避けてたたみかける 3 連符のラップを繰り返すことで, どのタイミングで, どのリズムで聴いていいかわからない瞬間が現れ, 楽曲に迫力というか魅力が生まれるわけです. ラップだけに注意して聴いているとどこで小節あるいは拍が刻まれているかわからなくなり, 楽曲が複雑に聴こえてしまいます. が, トラックはすごく単純な 4 分の 4 拍子です. すごく単純な 4 分の 4 拍子を複雑に聴こえさせるのが, Migos の「小節の頭を外した」3 連符ラップ, ということです.

で, わたしが聴いた限り, 「安倍はやめろ」が 2 拍目からとか 3 拍目からとか, あるいはシンコペーションしたりとか, ていうのはありませんでした. ぜんぶ小節の頭から始まっていました. ぜんぜん違います.「安倍はやめろ」と Migos は, 違いま〜す!

だいたいねえ, Migos なんて高校でライブやってる最中に, 麻薬と銃の不法所持で逮捕されてそのうちメンバーの 1 人が保釈金払いきれなくて 8 ヶ月も収監されるような, そんなグループですよ笑 でこれ 2015 年の話ですよ. 戦争反対! とかそういう平和とは真逆のグループだと思うんですけど笑

それはさておき. 余計な話でしたが.

1 拍目から始めるか, 2 拍目あるいは 3 拍目から始めるか, で, そんーな大きな違いがあるか, という反論があるかもしれません. しかし, まあそんなふだん音楽大好き!みたいではない人ならともかく, 音楽を, ラップをふだんから注意深く聴いてる人がこの違いを「ささい」とするのは, どうですかねえ, て思います.

K ダブだってガチガチの 3 連

まあ, では, 「ささい」としましょう.1 拍目から始めるか, 2 拍目あるいは 3 拍目から始めるか, なんていうのはささいだ, と. そもそも 「2 拍 3 連」という共通項があるではないか. 1 拍目からラップするかどうかの違いはあるけど, 「2 拍 3 連」という共通項があれば, 「安倍はやめろ」は Migos でしょ? て言いたくなるかもしれませんが, このような考え方は, 日本語とラップのリズムの関係性についてもっと重要なことを見落としています. つまり.

それは, 「日本語らしく聴こえるラップは 3 連符」あるいは, 「3 連符のラップは日本語らしく聴こえる」, という, Migos とか震災とかそれ以前の, 遅くともわたしが確認した範囲では 00 年代から聴き取ることのできる事実です.

「日本語らしく聴こえるラップは 3 連符」あるいは, 「3 連符のラップは日本語らしく聴こえる」の代表例が, K ダブシャインのラップです. 最も分かりやすい例が, 「ジェネレーションネクスト」(  2002 ) です. リミクスが映画『凶気の桜』のサントラに収録されたキングギドラによるこの楽曲において, ジブラのラップとの対比することで, K ダブによる 3 連符ラップが日本語として聞き取りやすい ラップであることが確認できます. ジブラがところどころ, 言葉の音の数 ( 「言葉の「音」というものすごく曖昧な対象! ) をもしかしてほとんど無理矢理帳尻合わすために 3 連符でラップしているのに対して, K ダブはパートのほとんどを 3 連符でラップしています. そして, K ダブの方が, 日本語として聞き取りやすい, 聞き取りやすいというのが不適切な評価なのであれば, K ダブの方が, 聴き馴染んだ日本語でラップをしている.

この楽曲を聴けば, 聴き馴染んだ日本語をラップにする際には, 3 連符が適していることが分かると思います.

この記事は, 日本語でラップする際に 3 連符が適しているということを主張したり, 日本語ラップのリズムの変遷であるとか, あるいは, K ダブのフロウの変遷がテーマではありません. が,  K ダブによる「日本語として聴き取りやすい」ラップが 3 連符である, ということを示す楽曲は, 「ジェレーションネクスト」だけではない, ということは言っておきたいところです.

シングルとして発表された楽曲に限定しますが, K ダブの楽曲では, たとえば 2000 年の「天国と地獄」において, キメるところで 3 連符になっていますし, 「9.11」でも 同様です. どういうことかというと, 「ジェネレーションネクスト」でのジブラのように, 帳尻を合わすために 3 連符にするのではなく, 4 拍子でラップをつづけていたところの節の最後を, 3 連符のリズムにすることで, 3 連符になった部分の言葉を印象的にする, といった効果のある 3 連符ラップになっています ( かなり抽象的な言い方ですが… )

他にも, 最も, 日本語として聴き取りやすい K ダブのラップが 3 連符であることの事例としては, 『凶気の桜』に収録された「生き証人」「凶気の桜」を挙げることができます. いずれの楽曲もメッセージ性が強く, ぱっと聴くとラップというよりほとんど「語り」に近いラップが印象的ですが, ガッチガチの 3 連符です.

日本語でメッセージをしっかり伝えられるリズム = 3 連符

「ジェネレーションネクスト」も「生き証人」も「凶気の桜」いずれもメッセージ性の高い楽曲であり, 「天国と地獄」や「911」において節の最後に聴き取りやすく・はっきりと 3 連符でラップしていることから, 日本語で日本語らしさを重視して言葉をダイレクトに伝えるようにラップをする際に, 3 連符でのラップは有効であることが分かると思います. 理由は分かりません. が, 日本語を日本語としてラップする際には, なぜか 3 連符は合うんです! なんでなんでしょう!

そうであるなら ( ていうかそうなんですが … ! ) , 2015 年反安保デモのシュプレヒコールの 3 連符は,  Migos 的というより, 日本語の言葉をメッセージとしてダイレクトに聴き取りやすく伝えるために当然のリズムだということができるでしょう.

わたしは, このことでもって, 日本語のリズムが 3 連符的だということを言うつもりはありませんし, 2015 年反安保デモのシュプレヒコールの影響元は K ダブと言うつもりもありません. とっちらかってきたので整理しましょう. この記事で言いたかったのは,

  • 2015 年反安保デモのシュプレヒコールと Migos のラップに共通性はない
  • Migos のラップは, 小節の頭を巧妙に避けることで独特さを生んでいて, 単に 3 連符であれば Migos っぽくなるわけではない
  • 日本語でメッセージを伝えるラップという点では, 3 連符でのラップはむしろ当然で, 別に 2015 年に新しいとかはない. たとえば K ダブ

この 3 点です. が, もし, 2015 年のデモで, トラックの 2 拍目, 3 拍目から始めて「安倍はやめろ」の 3 連符のリズムのシュプレヒコールをしている動画などがあれば, この記事の内容はほとんど否定されてしまいます笑

ていうかね, デモの動画観ましたけど, この記事を書くために. ラップもそうですけど, トラック, ちょっと古いですよね. 2015 年のラップというにはちょっと古いんじゃないんですかねえ.

まあね, 1 拍外して「安倍はやめろ」とかね, ないと思うけどね, ないと思うけどー, まあ, あといろいろ, 日本語とラップのリズムについてのもうちょっと小泉文夫とかも引用しつつ掘り下げたり ( 日本語は「4・3」のリズムが多く, このリズムを無理やり 4 拍子のヒップホップのトラックに収めようとしたら 3 連符が自然だ, とかいうトンデモ説とか ), もっと厳しく大和田を dis ったり ( 特にヒップホップはポストモダンとか言ってるくだりね ) しようと思ったんですけど, もうめんどうくさいし, また機会があれば書きます. ていうかわたしが動画を見た範囲でー, 最後に一言いうんなら, そうっすね,

「何か SEALDS ラップ古いよね」


念のために書いておきますが, この記事は, 政治的な意見がなんとかとかそういう意図は一切含んでいません.