Zeebra の不倫報道がね、あったわけですが。極論を言うと、仕方なくないですか? どういう人物であれ、やっぱり生物ですから、そういう状況になったら、止めたくても止められないわけですよ。殴られたら痛みを感じるのと同じなんですよ。大事なのは未然に防ぐこと、殴られないこと、つまりそういう雰囲気になりそうな場面を避けることですよね。ミュージシャンという職業上、一般的な例えば会社員に比べたら、そういう雰囲気になってしまう場面が多いと思いますが、「女遊びも芸の肥やし」的な考えが通用したのも今は昔です。やっぱりね、普段から大口叩くのが仕事みたいなところありますから、特に Zeebra さんの場合、しっかりそのあたりまで、未然に防いでほしかったところですね。だって、端的に格好悪いでしょう? 今の時代、不倫なんて。違法薬物濫用自慢や暴力自慢と同じで、不倫は今の時代、決してカッコいい行為ではないですよ。
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ヨルシカ『盗作』特典小説における過激な音楽観
フィクションの登場人物の持つ考えなので、いちいちイチャモンをつけるのもどうかな、と思うところもありますけど、ヨルシカのアルバム『盗作』の特典の小説を読む機会があったんですね。それで、主人公 (?) の男性の持つ音楽観がちょっと気になりまして。過激、と言うと大袈裟ですが、言い過ぎかな、それ、という点があって。それで、ケチをつけるのは無粋だとは理解してるんですが、あの特典小説を読んだ例えば中学生とか高校生とかが、ちょっと歪んだ・残念な音楽観を形成してしまうと、それはそれですごくかわいそうだな、というのがありまして。そういった中学生・高校生が、あの特典小説を読む前でも読んだ後でもいいんですけど、そういったちょっと歪んだ音楽観を形成するのを防ぐ役割のあるような文章を、いちおう、書いておいた方がもしかしていいのではないか、と思いまして。上手く書けるかどうかは分かりませんが。
香水とカノン: 瑛人「香水」のヒットはなぜ異例ではないのか
行動経済学、あるいは消費者心理学、どちらでもいいんですけれども、慣れ親しんだものを人は好きになるという法則がありますよね。言い換えれば、何度も何度も繰り返し経験したものと似ているものを、人は好きになる。これは多角的な視点から論じられる人間の特徴で、単純接触効果という視点から、あるいは現状維持バイアイス、あるいは損失回避性といった視点から論じられる人間の特徴です。
続きを読む音楽レビューを書くために、自分の確固たる音楽観を形成しよう
すごく素敵な音楽に出会った。その感想を誰かと共有したい、そうだ、インターネットにレビューを載せてみよう…、というふうに、音楽レビューを書こう、書きたいと思っても、なかなか筆が進まないときがありますよね。
続きを読むイントロの長さから言うと、髭男やあいみょんはサブスク時代のヒットとしては異例
「サブスク時代にはイントロが短くなる傾向がある」という統計があるようです。
ポスト・パンデミック時代における音楽の在り方
感染症を終息させるには、人の密集を避けなければなりません。これは、多くのファンから少しずつおカネを集めてまとまった収益を得る (=薄利多売) という現在のポピュラー音楽ビジネスモデルが、成り立たなくなることを意味します。
続きを読むアニメ『キャロル & チューズデイ』から考える,「未来の音楽」の難しさ
2019 年春にスタートしたアニメ『キャロル & チューズデイ』.
『カウボーイビバップ』『スペース★ダンディ』を手がけた渡辺信一郎 (総監督) による新作アニメでテーマは音楽, しかも楽曲提供としてクレジットされているミュージシャンが, いわゆる職業作家ではないライブなどで表舞台で活躍する面々ということで, 一部アニメファンや音楽ファンの間で話題になっています. 続きを読む
J-POP の歴史: 平成のポピュラー音楽とは何だったのか
音楽リスナーにとっていちばん重要なのは, 自分にとって最高の 1 曲なり 1 枚なりの, 音楽作品に出会うことです. 流行っているとか, 歴史的名盤とか関係のない, 聴き終わった時に,「これに出会うために音楽を聴き続けていたのだ!」と心の底から感動できるような作品に巡り会えること以上に, 音楽リスナーにとって幸せなことはありません. ただ, その幸せをさらに深めるために, 流行や歴史的名盤について知っておくことは, 無意味ではありません. 世間一般で名作と言われている作品と比べて, いま, 自分が最高だと思えた作品はどの点が優れているのか, これを確かめることで, 最高の音楽と巡り会えた幸せを, より充実させることができるのです. 続きを読む
パンク精神が消失していった 30 年: わたしの平成音楽史 (リスナー編)
平成の音楽を振り返ってみる, というとき, 歴史的にできるだけ客観して捉えてみる, というのは, どうせ誰かがそのうちやるだろうから, どうせなら, 個人の記録として, 自分はこういうのを聴いてきたよ, という記録を振り返ってみたいと思いました. どう頑張っても, 歴史の専門家でもない限り, 主観的な要素は排除できませんので, そうであれば, 思いっきり主観寄りにした方が面白いんじゃないか, ということ. で,「わたしの平成音楽史」の「リスナー編」です.