音楽レビューを書くために、自分の確固たる音楽観を形成しよう

すごく素敵な音楽に出会った。その感想を誰かと共有したい、そうだ、インターネットにレビューを載せてみよう…、というふうに、音楽レビューを書こう、書きたいと思っても、なかなか筆が進まないときがありますよね。

そういう場合、自分の中にまだ、確固たる音楽観が形成されていないのかもしれません。

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音楽観とは

音楽観とは、噛み砕いて言えば、「「音楽とはこれこれこうだ」という自分の考え」といったところでしょうか。自分の中に音楽へのしっかりとした考えが固まっていれば、その考えと、いま聴いた楽曲との距離感をどう捉えるか、という視点で、言葉を生み出すことができます。

音楽観は、音楽そのものへの自分の考えという場合もありますし、もう少し細かく、あるジャンルへの自分の考え、あるアーティストへの自分の考えだったりもします。あるジャンルへの音楽観は、時代や地域によっても異なります。

音楽観をどうやって形成するか

音楽観は、音楽以外の媒体、本やウェブサイトを読んで言葉を貯めていくことで、徐々に形成されていきます。また、一度形成されても、どんどん更新されていくものです。

オススメはまだまだ、紙媒体の本です。それから、本になる前の論文。音楽系ウェブサイトを読む場合は、日本語だけではなく、できれば英語のサイトも読みましょう。たとえばあるジャンルについてパッと知りたくて Wikipedia を参考にした場合、英語のサイトの方がはるかに情報量が多い場合がよくあります。日本のアーティストの情報でさえ、日本語より英語の Wikipedia の方が充実しているときがあるのです。

音楽の文字情報は積極的に追いかけよう

以前は、音楽の文字情報を追いかけるのはあまり意味のない行為でした。けっきょく、音楽は響いているその現象こそが音楽であり、文字では代替できないからです。

響いている現象が音楽という事実は現在であれ過去であれ、おそらくは未来であれ代替できませんが、現在はインターネットの発達によって、文字から得た音楽情報を即、音楽そのものとして経験することができます。クラシックの歴史の本を読みながら、その作曲家の作品を、サブスクで聴くことができるのです。ですので、本を読みながら、あるいはウェブサイトを参考にしながら、音楽の文字情報を即音楽へ替えられますので、音楽の文字情報は積極的に入手しましょう。サブスク時代、アーティストの収入がCD全盛期に比べて減っているという話があります。ただ、リスナーにとってこんな良い時代はありません。

音楽観は間違っていても構わない

そうやって築き上げた音楽観は、間違っていることがあります。いや、たいてい間違っています。そういう場合は、レビューを読んだ人から誤りの指摘が入る場合がありますので、その時点で、時間に余裕があれば相手の意見を一度精査してみて、その上で自分に非があれば、素直に間違いを認めれば、それでいいと思います。

間違いの指摘してきた言葉が、あまりにネガティヴだったり、あるいは時間に余裕がない場合は、スルーしても構わないでしょう。次のレビューで挽回すればいいのです。ちなみに私は、何度か、人の音楽レビュー・批評に反対意見を書いたことがあるのですが、しっかり意見を返してくれた記憶はありません。彼らのスルースキルが高かったのか、私の反対意見が拙かったのかは分かりませんが、スルーされた方はスルーされたことをだんだん忘れていきますので、要するに…、あまり間違いを恐れる必要はない、ということです。

音楽についての考えに限りません。人間はそもそも間違える生き物ですから(ただ、はたして「間違い」とは何か?)。

音楽レビューを書くために、音楽観を形成しよう

さて、ここまでの内容をまとめましょう。

素晴らしい音楽に出会ったとき、それを自分の言葉で誰かと共有するという経験は、とても素晴らしいものです。上手く共有できたらなおさら。上手に共有するためには、何よりも音楽観を形成することです。音楽観を形成するには、ウェブサイトでもいいですが、紙の本がまだまだ有効です。できれば英語の本を読みましょう。形成された音楽観は、だいたい間違っています。誰かから指摘されたら、その都度、訂正・更新していけばいい、くらいの、余裕のあるスタンスで、音楽観を形成しましょう。

それでは、素敵な音楽レビュー・ライフを!

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