踊るための音楽は明快?

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「音楽史と舞踏史」では、「舞踏史は音楽史以上に正確に記述することが難しい。しかし、中世にも踊るための音楽は存在した」という説明をみました。今回のエントリーはその続きです。

「一方で言葉に重きを置くグレゴリオ聖歌から流れ出る歴史があり、その傍流として身体から発する音楽が存在したというのではありません。舞曲は西洋音楽史の主流に影響を及ぼしもしたのです。それはジャンルの形成にかかわり、形式を生み出し、また拍子の概念の確立を促したに違いないのです。踊りはいわば歴史の推進力のひとつでもありました」(p. 110)

ここまでで「踊り」「踊るための音楽」「舞踏」「舞曲」といった似通った語句が使用されていますが、ちょっとこの辺の意味の違いをそのうち整理しないといけないかもしれません。

それで、うーん、「西洋音楽史の主流」とは何でしょうか(笑) まあ、日本の学校で採用されている音楽の教科書に書かれているようなものだ、と理解しておきましょう。

はい、続いて、バッハとモーツァルトが例に出されています。つまり、舞曲が「西洋音楽史の主流」に与えた例です。

「バッハ Johann Sebastian Bach(一六八五~一七五〇)の『ブランデンブルク協奏曲』の冒頭主題は、細部を反復・変奏しながら、九小節にわたる一続きの楽節を形成しています。一方、モーツァルトのほうはどうでしょう。第二ヴァイオリンのパートを見てください〔引用者 注1〕。最初の出だしの動きは(十六音符と八分音符の違いはあるものの)バッハとそっくりでさえあります。ところが旋律のつくり方はまるで違います。モーツァルトでは、第二ヴァイオリンに対して、いっそう明快なフレーズが第一ヴァイオリンに置かれ、4小節+4小節という構造へとシンメトリカルに分節化されているのです」(p.110、〔〕内は引用者)

なぜこの2つの例が出されているのかというと、田村によると、モーツァルトのフレーズが「いっそう明快」になったのは、「踊りの音楽」が影響したからだそうです(p. 111)。

「なぜなら明快な構造と反復の多様こそ、踊りの音楽の特徴だからです」(p. 111)

ちょっと「明快な」という単語が気になりますね・・・、「明快」は手許の辞書だと「筋道があきらかでわかりやすいこと」という意味ですね・・・、この意味だとまあ、分からなくもないですけれども。つまり、(西洋の)踊りの音楽の特徴はわかりやすくて・くりかえし

あー、これはですねえ、現代にも受け継がれているのではないでしょうか。いや、どうでしょう・・・、「わかりやすい」というのは、この場合、メロディーであって、リズムに関しては「踊りの音楽」であってもわかりにくいのがありますよねえ。

まあ、でも、モーツァルトの活躍した時代の「踊りの音楽」の特徴は「明快」「反復」だった、と。いや、やはりですねえ、これ、実証できないので難しいですよね(笑) 譜例は単純ですけど、この譜例の通りに弾けるわけなく。DAW ではあるまいし。ということは、踊らすための「揺れ」を作るんですよ、これ、ダンス・ミュージック作っている人には納得いっていただけるかもしれないんですけど。けっこう単純な4つ打ちのリズムでも、タイミングをズラして、正に田村和紀夫の言うところの「生命」をですね、ダンスのための音楽に与えるわけです。

これをー、えー、厳密に記譜するには西洋の伝統的な五線譜では不可能です。

それで多分、モーツァルトの活躍した時代でも、こうしたズレというのは、いや、モーツァルトに限らず、いわゆるクラシック音楽って、いちばんリズムにシビアな音楽のジャンルだとワタシは思います。

けっきょく、ワタシが何を言いたいのかというと、ダンスミュージックの「明快」さは、実は「反復」も、見せかけであって、これを計量化して提示することはほとんど不可能に近い。ということです。

話がそれましたので、いったんココで締めます。

※注1 バッハ《ブランデンブルク協奏曲第5番》ニ長調 第1楽章、モーツァルト《セレナード》ト長調 K. 525 第4楽章 の譜例が掲載されていますが、省略。なお、引用箇所の譜例は、以下のリンクから確認できます。

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