キェルケゴール著、飯島宗享訳『美しき人生観』(未知谷)

キェルケゴール『あれか これか』の、未知谷から出てる5分冊の1冊目、『美しき人生観』を読み終わりました。このなかでもやっぱドン・ジュアン論(笑) 書いてることがめちゃくちゃでウける(笑)

内容的には、キェルケゴールの音楽論が展開されてるんだけど。 モーツァルトを中心に。スゴい面白い。キリスト教以前は「真の意味の」音楽はなかった、という大胆な仮説。 要するに、官能性=感性というのは、キリスト教がキリスト教になるために、排除しようとする対象であるが故にキリスト教にとって本質的であって、その官能性=感性といものを本質としている音楽は、キリスト教の搭乗によって初めて音楽に鳴りえた、という、只のトンデモ仮説。

でもこのことが仮に真だとすると、本質的な音楽というのは、キリスト教の発展した西洋にしか生まれなかった、ということになって、もしかすると、和声学との距離を図りつつ発展してきたという点で西洋音楽に基礎を持っている現代のポップミュージックが、世界的に席巻している理由が、ここにあるのかもしれない、という、トンデモ仮説がフと頭を過ったのでした。

で、キリスト教とドン・ジュアンがどうからんでくるのかというと、1003人の女を誘惑したドン・ジュアン(ドン・ジョバンニ)伝説というのは、非常に感性的というかエロティックであり、この伝説を表現できるのは音楽だけだと。というのも、音楽というのはあらゆる芸術の中でもっとも感性的だからだと。ということは、感性的である音楽でもって感性的なドン・ジュアンを表現した、モーツァルトのドン・ジュアンは、最も完璧な音楽だと。

そういうことが書いているのですが、これはおそらくはキェルケゴールの真意ではなく、というのも、キェルケゴールはこのあと、おそらく、倫理的実存について書くから。ドン・ジュアンをここまで賞賛するのは、倫理的実存との落差としての審美的実存を、テキストの中でのテキストという少々にへんくれた方法で表現している、ということで。ま、欲望の諸段階を論じたところは、19世紀以前の心理学的人間分析が冴えてるな、と思って面白かったです。


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