音楽と数学、そしてそれに哲学が絡み合うとどうなるのでしょうか?この質問に対する答えは、古代ギリシャ時代まで遡ります。音楽がただの芸術ではなく、数学や哲学と深い関連性を持っていることは、数千年も前から考えられてきました。この記事では、Stanford Encyclopedia of Philosophyの「History of Western Philosophy of Music: Antiquity to 1800」を参考に、音楽、数学、哲学の三つがどのように絡み合っているのかを探ります。
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音楽美学者 Peter Kivy が逝去
こう書くと不謹慎かもしれませんが, いよいよ「音楽の哲学」という哲学の, 美学の, 動向の 1 つが歴史的なものになるのか, という感があります.
音楽美学者 Peter Kivy が 5 月 6 日に亡くなられました. 87 歳でした. ガンで闘病中だったとのことです.
音楽を比喩に使いたいのはわかるけど, やっぱりなかなか簡単にはいかないっすね: 中島義道「多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由」を読んで
哲学者の中島義道が東洋経済 ONLINE で連載中の「哲学塾からこんにちは」の最新記事, 「多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由」が 9 月 4 日に更新されました.
記事の内容自体には大きくうなずくところがあり, 大変興味深く読みました.要するに, 中島の「通俗書」を読んだ方が, 中島主催の哲学塾に参加しても, 多くの場合, 参加者にとっての哲学がイメージと異なり, やめていってしまう, という話です. 中島って哲学書とそうでない本をかき分けてるんですね. 続きを読む
哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音階」のノート
音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。事典ということで、1つ1つの項目のボリュームが大きいので、内容をかいつまんでの紹介になります。
哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音楽学」のノート
音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。
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哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音楽」のノート
音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。
第1回は、発売以来、哲学・思想系の事典のスタンダードとして君臨しつづけているとわたしが勝手に思っている、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店)です。 続きを読む
「ファンキー」とは何か
郡司ペギオ幸夫については、Wikipedia でも参考いただきたい、
セルジュ・チェリビダッケ『音楽の現象学』
音楽の 現 象 学 というタイトルに偽りない、中身の濃い、私の読んできた中で最も音楽の本質を衝いている本のうちの1つです。ページ数が短いからと言って、しかもその1/3程度がコンサート記録や、誰 得 の セ ル ジ ュ お じ い ち ゃ ん モ ノ ク ロ グ ラ ビ ア (本当に誰が得するんだよ! 要らねえよ! 本の値段高くするために無駄なページ作ってんじゃねえよ!)であるからと言って、侮ることはできません。チェリビダッケの一言一言は、膨大な注釈が必要でしょう。つまり、チェリビダッケが何を言おうとしているのかを、単語ごとに、文節ごとに、文ごとに・・・、確認しながら読まなければなりません(つまり、かなり読み難い。これは翻訳にも原因があるのかもしれません)。
キェルケゴール著、井上 良雄訳『キリスト教の修練』(新教出版社) -宗教と芸術について-
『キリスト教の修練』第3部6では、「キリスト教芸術」非難が行われている。いわく、キリスト教芸術はキリスト教の讃美であり、信従ではないため、真のキリスト教ではない、というのである。
ここでこの著作が分からなくなった。というか、もともとついていけなかったのが、もっとついていけなくなった。
では、われわれが現代親しんでいるキリスト教芸術は、すべて真ではないキリスト教であり、したがってこれを通じてキリスト教の、もっと言えば、キリストの何であるかを理解することなどできない、ということであろうか。そう言って良いのだろうか。 続きを読む