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音楽と数学、そして哲学の交差点: 古代ギリシアの音楽観

音楽と数学、そしてそれに哲学が絡み合うとどうなるのでしょうか?この質問に対する答えは、古代ギリシャ時代まで遡ります。音楽がただの芸術ではなく、数学や哲学と深い関連性を持っていることは、数千年も前から考えられてきました。この記事では、Stanford Encyclopedia of Philosophyの「History of Western Philosophy of Music: Antiquity to 1800」を参考に、音楽、数学、哲学の三つがどのように絡み合っているのかを探ります。

数学的および経験的な調和:古代ギリシャの知識

古代ギリシャの「調和」は、音楽的実体を数学的な用語で定義するピタゴラス学派から、音楽をより経験的、実践的な視点から捉えようとするアリストクセノス派まで、様々なアプローチを含んでいます。ピタゴラス学派は音楽と数学の関係を重視し、音楽的間隔やスケールを数の比率で説明しようとしました。一方、アリストクセノス派は音楽を聞く経験そのものから理解しようとし、音楽理論をより実践に近い形で発展させようとしました。

ピタゴラスからアリストクセノスへ: 哲学的な議論

ピタゴラス学派の数学的アプローチとアリストクセノス派の経験的アプローチの間の議論は、音楽哲学における重要な議論の一つです。ピタゴラス学派は音楽を宇宙の調和と関連づけ、数学的な完全性を追求しました。対照的に、アリストクセノス派は音楽を人間の感覚と経験に基づくものとして捉え、理論を実践に即したものにしようとしました。

理論と実践の融合:ハイブリッドな見解

音楽理論における数学的アプローチと経験的アプローチの間には、両者を融合させようとする試みもありました。例えば、プトレマイオスはピタゴラス学派の宇宙論的な見解を保持しつつも、音楽実践に即した数学的モデルの開発を試みました。また、アリスティデス・クインティリアヌスは、アリストクセノスの音楽観とピタゴラス学派の哲学的影響を組み合わせ、音楽の倫理的価値を強調しました。

音楽、数学、哲学の交差点における今日の意義

古代ギリシャの音楽理論は、音楽、数学、哲学が交差する点における深い洞察を提供します。これらの学問分野がどのように相互に影響し合い、補完し合っているのかを理解することは、現代の音楽理論だけでなく、教育や創造的実践においても重要な意味を持ちます。音楽を通じて数学的概念を探求することや、哲学的思考を音楽創作に取り入れることは、これらの古代の理論家が既に探求していたアイデアです。

過去からの教訓、未来への道

音楽と数学、そして哲学の関係性を探ることは、単に古代の学問を振り返ること以上のものです。これは、異なる分野間の対話を通じて新たな知見を発見し、創造性を促進する方法を模索する現代の挑戦でもあります。古代ギリシャの音楽理論家たちの議論は、私たちが今日直面している問題に対する洞察とインスピレーションを提供することができます。音楽、数学、哲学の交差点におけるこれらの古典的なテーマの現代への適用は、私たちの知的な探求と創造的な実践の両方において、豊かで多様な視点をもたらします。

参考


音楽美学者 Peter Kivy が逝去

こう書くと不謹慎かもしれませんが, いよいよ「音楽の哲学」という哲学の, 美学の, 動向の 1 つが歴史的なものになるのか, という感があります.

音楽美学者 Peter Kivy が 5 月 6 日に亡くなられました. 87 歳でした. ガンで闘病中だったとのことです.

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音楽を比喩に使いたいのはわかるけど, やっぱりなかなか簡単にはいかないっすね: 中島義道「多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由」を読んで

哲学者の中島義道が東洋経済 ONLINE で連載中の「哲学塾からこんにちは」の最新記事, 「多くの人にとって、哲学が「アホらしい」理由」が 9 月 4 日に更新されました.

記事の内容自体には大きくうなずくところがあり, 大変興味深く読みました.要するに, 中島の「通俗書」を読んだ方が, 中島主催の哲学塾に参加しても, 多くの場合, 参加者にとっての哲学がイメージと異なり, やめていってしまう, という話です. 中島って哲学書とそうでない本をかき分けてるんですね. 続きを読む


哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音階」のノート

音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。事典ということで、1つ1つの項目のボリュームが大きいので、内容をかいつまんでの紹介になります。

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哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音楽学」のノート

音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。
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哲学系の事典で「音楽」はどう論じられているのか?: 『哲学事典』(平凡社)「音楽」のノート

音楽は哲学的にどう議論されているのか、あるいは議論されてきたのか。その大枠を捉えるために最も有効な手段のうちの1つが、「事典を調べる」でしょう。ということで、様々な哲学・思想系の事典で音楽に関する項目をノートをつくってみることにしました。調べてみるとけっこうでてくるものですね。

第1回は、発売以来、哲学・思想系の事典のスタンダードとして君臨しつづけているとわたしが勝手に思っている、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店)です。 続きを読む



セルジュ・チェリビダッケ『音楽の現象学』

音楽の 現 象 学 というタイトルに偽りない、中身の濃い、私の読んできた中で最も音楽の本質を衝いている本のうちの1つです。ページ数が短いからと言って、しかもその1/3程度がコンサート記録や、誰 得 の セ ル ジ ュ お じ い ち ゃ ん モ ノ ク ロ グ ラ ビ ア (本当に誰が得するんだよ! 要らねえよ! 本の値段高くするために無駄なページ作ってんじゃねえよ!)であるからと言って、侮ることはできません。チェリビダッケの一言一言は、膨大な注釈が必要でしょう。つまり、チェリビダッケが何を言おうとしているのかを、単語ごとに、文節ごとに、文ごとに・・・、確認しながら読まなければなりません(つまり、かなり読み難い。これは翻訳にも原因があるのかもしれません)。

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キェルケゴール著、井上 良雄訳『キリスト教の修練』(新教出版社) -宗教と芸術について-

『キリスト教の修練』第3部6では、「キリスト教芸術」非難が行われている。いわく、キリスト教芸術はキリスト教の讃美であり、信従ではないため、真のキリスト教ではない、というのである。

ここでこの著作が分からなくなった。というか、もともとついていけなかったのが、もっとついていけなくなった。

では、われわれが現代親しんでいるキリスト教芸術は、すべて真ではないキリスト教であり、したがってこれを通じてキリスト教の、もっと言えば、キリストの何であるかを理解することなどできない、ということであろうか。そう言って良いのだろうか。 続きを読む


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