金澤正剛『新版 古楽のすすめ』の、「第十一章 忘れ去られた音楽について」についてのノートです。第十一章に関しては、以下も参考にしてください。
「古楽」については、以下を参考にしてください。
さて、『~ 古楽のすすめ』「十一章」では、「忘れ去られた音楽」という表題で、中世からルネサンス、バロック時代の「民間」の音楽がテーマになっています。この時代の「民間」の音楽はほとんど存在していない。そして、このことと金澤正剛のアメリカでの経験を元にした「楽譜」の関係について、「古楽とポピュラー音楽の接点!?」でみてきました。
金澤正剛のアメリカでの経験によると、「世界的にその名を知られた音楽家」でも、「楽譜を」「読む必要を感じていない人」がいます。これに続く部分を引用します。
注意しなければならないのは、「庶民の音楽」といった場合の「庶民」という単語が、決して価値の低い意味で使用されているわけではない、ということでしょう。少しページを戻って、引用します。
「すべての音楽の底辺であり、土台である」「庶民の音楽の特徴のひとつ」が、「ともかくまず」「音を鳴らしてしまう」ということになるでしょう。つまり、私もよく勘違いしてしまいがちですが、作曲や楽譜というものが音楽の土台にあるのではなく(いや、もちろん、作曲や楽譜という行為は大変重要ではありますが、)、あくまで「音を鳴らす」ということが土台としてある。
金澤正剛によると、このように「ともかくまず」「音を鳴らして」生まれる「庶民の音楽」には、「力強さが備わ」(同 p. 229)っています。しかし同時に、負(と言っていいかどうか分かりませんが)の側面もあります。
「力強い」と同時に、「時が経てばやがて跡形もなく消えていく」。だから、「後世に残る可能性は極めて少ない」(同 同ページ)。いやむしろ、「後世に残る可能性は極めて少ない」からこそ、「力強い」。しかしこの、なかなか後世に残らない音楽こそ、「すべての音楽の」「土台」になるのです。
第十一章の「忘れ去られた音楽」とは、こういった「庶民」「民衆」「民間」の音楽なのです。