古楽とポピュラー音楽の接点!?(2)

金澤正剛『新版 古楽のすすめ』の、「第十一章 忘れ去られた音楽について」についてのノートです。第十一章に関しては、以下も参考にしてください。

「古楽」については、以下を参考にしてください。

さて、『~ 古楽のすすめ』「十一章」では、「忘れ去られた音楽」という表題で、中世からルネサンス、バロック時代の「民間」の音楽がテーマになっています。この時代の「民間」の音楽はほとんど存在していない。そして、このことと金澤正剛のアメリカでの経験を元にした「楽譜」の関係について、「古楽とポピュラー音楽の接点!?」でみてきました。

金澤正剛のアメリカでの経験によると、「世界的にその名を知られた音楽家」でも、「楽譜を」「読む必要を感じていない人」がいます。これに続く部分を引用します。

「つまり庶民の音楽の特徴のひとつは、記録されて残るなどという性格の音楽ではもともとないということではないだろうか。さあ作曲だ、楽譜に書いて演奏して、などとむずかしいことを言う前に、ともかくまず声を出してしまう、音を鳴らしてしまう、そして歌ったり弾いたりしているうちに、自然に美しい音、旋律、リズムなどを見つけ出し、個性豊かな音楽を生み出していくのである」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) pp. 228 – 229)

注意しなければならないのは、「庶民の音楽」といった場合の「庶民」という単語が、決して価値の低い意味で使用されているわけではない、ということでしょう。少しページを戻って、引用します。

「庶民の音楽こそは、すべての音楽の底辺であり、土台である」(同 p. 227)

「すべての音楽の底辺であり、土台である」「庶民の音楽の特徴のひとつ」が、「ともかくまず」「音を鳴らしてしまう」ということになるでしょう。つまり、私もよく勘違いしてしまいがちですが、作曲や楽譜というものが音楽の土台にあるのではなく(いや、もちろん、作曲や楽譜という行為は大変重要ではありますが、)、あくまで「音を鳴らす」ということが土台としてある。

金澤正剛によると、このように「ともかくまず」「音を鳴らして」生まれる「庶民の音楽」には、「力強さが備わ」(同 p. 229)っています。しかし同時に、負(と言っていいかどうか分かりませんが)の側面もあります。

「民衆の音楽には力強さが備わり、また生活との密接な関係も生じることとなる。しかし同時に、この種の音楽は次々と変化し続けた末に、時が経てばやがて跡形もなく消えていく運命にもある」(同 同ページ)

「力強い」と同時に、「時が経てばやがて跡形もなく消えていく」。だから、「後世に残る可能性は極めて少ない」(同 同ページ)。いやむしろ、「後世に残る可能性は極めて少ない」からこそ、「力強い」。しかしこの、なかなか後世に残らない音楽こそ、「すべての音楽の」「土台」になるのです。

第十一章の「忘れ去られた音楽」とは、こういった「庶民」「民衆」「民間」の音楽なのです。


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