※ 2023 年 6 月 12 日追記(1): 補足記事を書きました「キメラ・ポップのルーツを求めて: YOASOBI「アイドル」のように展開が非常に多い楽曲はどこから来たのか」
※ 2023 年 6 月 12 日追記(2): 補足記事を書きました (2) 英語の歌詞に韻 (rhyme) は必要か?
Sagishi (@sagishi)さんの YOASOBI「アイドル」(2023) 評が興味深かったので、
- YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について https://note.com/yasumisha/n/nb69de4c016db
私もいろいろ調べました。
また、関連していることについて、以前から思っていること (よく言えば仮説、悪く言えば憶測) も、この際まとめることにしました。
Sagishi さんの論評には、さまざまな論点が含まれているので、私なりに拾えるところを拾って、それらについて改めて調べたこと、考えたことをまとめます。
Sagishi さんについては、ボカロPとしても、詩人としても、詩の研究者としても尊敬しています。
ということで、本記事は基本的には、Sagishi さん側に立つ内容です。ところどころ見解の異なるところはありますが。その辺、自分の考えの整理も含め、やや長文ですが、勝手にアンサー記事を書きました。
「アイドル」の転調・展開
まず、Sagishi さんは、「アイドル」について、
「「マジでカオスで変な曲」「すごい強引」だと感じました。そう感じる理由というか原因は明白で、展開や転調の過剰さ」
と評します。この「展開や転調の過剰さ」について、米津玄師や Official 髭男 dism との共通点を指摘し、近年の日本のポピュラー音楽の特徴だと述べます。
私もおおむね同意見で、私は米津は聴かないのですが、髭男は好きで、「Cry Baby」(2021) には心底驚かされました。
「Cry Baby」を初めて聴いた当時、では「こんなに目まぐるしく転調する楽曲は、日本ポピュラー音楽でかつてあったのか」と記憶を探ったり、調べたりしました。また今回、Sagishi さんの記事を読んで、改めて、「大胆な」(以下、「過剰」という言葉は使わず、同じような意味で「大胆」という言葉を使います) 展開・転調のある楽曲は、いままでの日本ポピュラー音楽にはなかったのか、いろいろ探しました。(※ 2023 年 6 月 12 日追記: 補足記事を書きました「キメラ・ポップのルーツを求めて: YOASOBI「アイドル」のように展開が非常に多い楽曲はどこから来たのか」)
展開・転調が大胆な、日本のポピュラー音楽の楽曲
結論から言うと、髭男や YOASOBI より前にも、大胆な展開・転調のある楽曲はあります。もちろん、髭男「Cry Baby」や YOASOBI「アイドル」の方が、展開や転調がもっと大胆 (で、過剰) と言っていいでしょう。
では、YOASOBI・髭男らの楽曲と、YOASOBI・髭男より前に存在した展開や転調が大胆な楽曲との間に、質的な飛躍があるのか、というと、そこはけっこう意見が分かれると思います。ここからは仮説・憶測が多分に含まれてきますが、私はそこまで質的な飛躍はないのでは、けっこう地続きなのでは、という印象です。
順番に事例を挙げていきましょう。アイドルの楽曲です。
- ももクロ「行くぜっ! 怪盗少女」(2010、オリコン 3 位) https://www.youtube.com/watch?v=u7z9M0vFPbI
くどいですが、いま聞けば YOASOBI「アイドル」の方が展開・転調は大胆ですが、当時の他のアーティストのヒット曲に比べると、かなり展開も転調も豊富だと思います。
00 年代だとやはり、
- モーニング娘。「そうだ! We‘re ALIVE!」(2002、オリコン 1 位)
でしょう。同じくアイドルソングです。米津が引用したので、20 代前半以下でも聴いたことのある音楽ファンはいるのではないでしょうか? 「アイドル」の方が、低音が強調されたミキシングなので、「アイドル」を聴いた後に「そうだ! We’re 〜」を聴くとどうも迫力不足に感じてしまいます。しかし展開だけで言えば、この楽曲の展開の多さは、「アイドル」にも劣らないのではないように思えます。
同じく 00 年代だと、時系列が前後しますが、印象的なのは、
- MINMI「シャナナ」(2007、オリコン17 位) https://www.youtube.com/watch?v=IdN4D9FUMH8
です。
ソカの JーPOP 版ですが、この楽曲の展開・転調の大胆さは、歌謡曲・ポップスのテクニックとしての転調というより、DJ 的カットアップ手法のポップスへの応用と言えると思います。
わたしがいま挙げた 3 曲は喩えるなら「アルビノ」の可能性もあります。要するに白いカラスを一羽見つけたから、カラスが黒いのは嘘だ! と騒ぎ立てるいった類の事例かもしれません。
ですので、子どもが珍しい草を見つけて「こんな草あったよ!」と喜んでいるようなものだと軽く受け流してもらってもけっこうです (と書くと「ももクロは珍しい草じゃない!」とお叱りを受けそうですが)。
ただ、もう少し、アルビノ探し、珍しい草探しを続けさせてください。
時代を遡ります。
80 年代末から 90 年代初期にかけて活躍したユニコーンも、展開ごとに劇的に雰囲気の変わる楽曲を残しています。
- 「働く男」(1990、オリコン 3 位)
- 「スターな男」(1991、オリコン 6 位)
- 「ヒゲとボイン」(1991、オリコン 23 位)
は、コミカルな歌詞に合わせて、曲調が途中でガラッと変わり、非常に楽しめる楽曲です。
転調・展開が大胆な楽曲の起源はどこまでさかのぼれるか?
さて、では、ユニコーンからももクロ、米津・YOASOBI といった、展開・転調の大胆な日本のポピュラー音楽の起源はどこにあるのでしょうか。私は、植木等まで遡ることができると思います (くどいですが、この辺は憶測・仮説ですので)。
こういうことを書くと、「米津玄師が植木等を聴いていたという証拠を出せ」と言ってくる人がいますが (たぶん聴いていると思いますが)、そういうのとはまた別の話です。すみません。
それで、「スーダラ節」(1961) もそうですが、やはり「ハイ、それまでよ」(1962) https://www.youtube.com/watch?v=KLNhpy8oCdE でしょうね 。
ですので、私が思うに (仮説・憶測するに)、転調・展開が大胆な楽曲は、日本のポピュラー音楽ではけっこう昔からあり、いま、私が探した限りでは、1960 年代のコミックソングまでは遡れるのではないでしょうか。
要するに、日本のポップスで、転調・展開が大胆な楽曲の起源は、60 年代のコミックソングである、というのが私の仮説 (憶測) です。
その前になると、第二次世界大戦とかそういう時代になりますので。事情がややこしくなります。
ちょっと脱線 (1): 「白日」と「Flamingo」の時系列
ちなみに、本記事の本筋からは外れますが、Sagishi さんは「白日」(2019) が伸びた理由として、米津の影響を挙げ、米津の例として「Flamingo」(2020) を挙げていますが、それだとぱっと読んだところ時系列的に素人目には分かりづらく、もう少し丁寧に説明いただければ親切かな、と思いました。
ちょっと脱線 (2): 有機的サウンド、交響感について
また、Sagishi さんは、「転調・展開の過剰さ」から米津・髭男を引き、米津の音楽性として「有機的サウンド、交響感」を挙げます。やはり私の読解力不足なのか、「転調・展開の過剰さ」から「有機的サウンド・交響感」へ、そして最後に「異様な展開」へ、という論の運びが、分かりにくかったので、別の機会に丁寧に説明いただければと思います。興味深い論点なので。
有機的サウンドや交響感は、確かに 20 年代ポップスの特徴だと思います。これはテクノロジーの進化というか、DAW で一度に処理できる音の数が増えたから、というのが大きな要因でしょうね。やはり、洋邦問わず、今のポピュラー音楽を聴いたあとに 00 年代に流行っていた楽曲を聴くと、古臭く感じますね。
2020 年代の日本のポピュラー音楽の転調の特徴
さて、話をもとにもどして、では 2020 年代の日本のポピュラー音楽の転調の特徴は何か、というと、A メロの途中やサビの途中で「露骨に」転調をする、というのがあるでしょうね。A メロ、B メロときてサビで転調する、というのは2020 年代より前の楽曲でもけっこうありますが、そもそもサビの途中で、とか、A メロの途中で転調するというのは、2020 年代に特有かもしれません。この辺、もっと JーPOP に詳しい人がいれば、教えていただければと思います。
私が「こんな転調ありなの!?」となった最初の曲は、Aquors「MIRAI TICKET」(2016) ですね。当時はけっこうまだアニメを観ていたのですが、サビ前の B メロ (?) のなかでかなりめまぐるしく転調する構成に、驚いた記憶があります。
ただ、コード 1 、2 つだけ転調、といった手法もありますので、その辺りの違いを、明確にしてみるのも面白いかもしれません。
蛇足: 転調とダンス
これは蛇足ですが、転調しすぎると踊りにくい、と Sagishi さんは述べていますが、先述の通り、MINMI「シャナナ」のような事例もあります。
DJ的カットアップの結果、結果的に転調が多用されているように聴こえる、けど踊れるという楽曲は確かにあります。
私の好きな楽曲だと、JーPOP ではないので恐縮ですが、DJ Shadow「Lesson 4」https://www.youtube.com/watch?v=U-fFzhwfUzY (1991) で、7 分の間に 40 曲もサンプリングされていて、要するに MEGAMIX なので、これ楽曲に分類するかも意見が分かれると思いますが、自然に身体が揺れる楽曲です。ただ、DJ 的カットアップで作った楽曲の場合、そもそも元ネタが踊れるファンクとかのだから、転調しまくって展開多くてもそれつなげた楽曲なら踊れて当然だろ、という指摘はごもっともなところです。
MEGAMIX を例として挙げていいのなら、Break Core はどうなんでしょうか? Break Core は既存の楽曲を、本当に細かくブツ切りにしてつなげているので、また、展開が多いとか、転調とかとは違うかもしれません。あと Break Core はけっこう、マニアックな聴き方をするリスナーの間でも意見が分かれるのではないでしょうか。踊れるか、踊れないか。私も初めてクラブで聴いたときは「何じゃこれ?」と思いましたが、DJ は延々と首振ってたし、この記事を書くために改めて聴いたら「なくはないな…」となってしまいました。人の好みは変わるものです。
ちなみに日本の民謡の「よさこい節」も、転調のある踊るための曲です。ということでもしかして、日本の民謡には、転調のある踊れる楽曲がけっこうあるのかもしれません。この辺は別の機会での課題ですね。
英詞とライミング
つづいて、英詞と rhyme ですね。「アイドル」の英詞は rhyme していない (というか弱い) ので、完成度が低い。Sagishi さんによると、
「英語のrhymeは、シェイクスピア以前の時代から連綿と続けられている言語文化そのもの。rhymeをしないというだけで、英語の言語文化への敬意がないようにも思われます」
とのことです。
私も同意で、韻を踏むというのは、ラップに限らず、欧米のポピュラー音楽にはみられる手法です。ロックもポップスも、洋楽アーティストはみんな韻を踏んでいます。
例えばNirvana はグランジのバンドですが、代表曲のサビではしっかり韻を踏んでいます。
With the lights out, it’s less dangerous
(Nirvana「Smells Like Teen Spirit」(1991))
Here we are now, entertain us
I feel stupid, and contagious
Here we are now, entertain us
A mulatto, an albino A mosquito, my libido
日本人の書いた英詞
対して、日本人の書いた英詞はどうでしょうか?
My life is a normal life
(Hi-Standard「Stay Gold」(1999))
Working day today
No one knows my broken dream
I forgot it long ago
I tried to live a fantasy
I was just too young
In those days you were with me
The memory makes me smile
正直、「Smells 〜」に比べたら、あまりきれいに韻が踏めているとは思えません。
ただ私には、ハイスタに「ハイスタには言語文化への敬意がない」というだけの度胸はありません。ファンが怖すぎ。みんな刺青してるし。モッシュピットでどさくさに紛れて○されそう。コロナ終わったし。今年あたり。
ハイスタが流行った頃、同じように英詩で歌うメロコア、スカバンドが日本でも多数、輩出されましたね。Snail Ramp「Mind Your Step」(1999) はオリコン 10 位を記録し、音楽番組でお笑い芸人・ダウンタウンと共演しました。
歌詞です。
Did you sense any changes over that period of time
Mind your Step!
If you didn’t believe me, go and see yourself
So lucky! How did you enjoy
The last time!
Her free movement in dancing
I would give anything for the truth,
why are you hurrying so?
Our encounter was a mere chance, I can’t speak for yourself …
But promises should be kept without fail
there’s a bit of blue sky between the clouds all at once
We Will chance it,
This is our chance,
Don’t let it go!
韻を踏めているかどうかの観点からは、かなり厳しいですね。Snail Ramp のファンになら、Snail Ramp には言語文化へのリスペクトがない! と言えそうです (※嘘です)。
Ellegarden はどうでしょうか。
There ain’t no fear
(「Salamander」(2006))
There ain’t no hope
There ain’t no right
There ain’t no wrong
Just make it loud
Just make it loud
Just make it loud
I feel no touch
There ain’t no past
There ain’t no fate
There ain’t no thoughts
There ain’t no rules
Spoken words
Broken hearts
Instant dreams
Just let it slide, wasting time Just keep it going and going Just let it slide, wasting life
Just keep it rolling and rolling Just make it loud, in your room Just make it loud, no one cares And just let it slide
サビでは踏んでそうですが (time / slide / life)、平歌のところは厳しいですね。Ellegarden のファンは強いでしょうか?どうなんでしょう?
冗談はこれくらいにしましょう。歌詞の良し悪しはファンの腕力で決まるわけではありません。
洋楽ロックの例
せっかくですから、もう少し洋楽ロックの例をみてみましょう。
I used to roll the dice
(Coldplay「Viva La Vida」(2008))
Feel the fear in my enemy’s eyes
Listen as the crowd would sing
Now the old king is dead, long live the king
One minute, I held the key
Next the walls were closed on me
And I discovered that my castles stand
Upon pillars of salt and pillars of sand
さすが、シェイクスピアと同じイギリスのバンド、きれいに韻を踏んでいます。ほかにも、OASIS(「Don’t Look Back in Anger」(1995)) や Blur (「Beetlebum」(1997)) などの詞を確認しましたが、やはり韻を踏んでいました。
これも私も前からずっと言ってるんですけど、よく「ラップだから韻を踏んでいる」と言いますが、韻を踏むのはラップの専売特許ではなく、特に英詞だとロックでもなんでも韻は踏んでいるんですね。
日本語でも爆風スランプ「Runnner」(1988) のサビはおそらく意図的に韻を踏んでいますし、椎名林檎「正しい街」(1999) の A メロの韻も意図的だと思います。
椎名林檎には「輪廻ハイライト」(1999) という、英語にも日本語にも聴こえる楽曲がありますね。この楽曲の日本語はめちゃくちゃですが。英語にも日本語にも聴こえる楽曲としては、奥田民生「リー!リー!リー!」(1998) があります。奥田民生の方は英語がデタラメです。ただし韻を踏もうとはしています。奥田民生は割と韻を踏みますね。日本語でも。
もう少し、英詞の、ロックの例をみてみましょう。OASIS、Blur ときたら、同じ UK で、やはり Radiohead でしょう。Radiohead と言えば全員大卒のエリート集団ですから。さぞ詞も気の利いた韻が踏まれていることでしょう。
When you were here before
(「Creep」(1993))
Couldn’t look you in the eye
You’re just like an angel
Your skin makes me cry
You float like a feather
In a beautiful world
I wish I was special
You’re so fuckin’ special
But I’m a creep
I’m a weirdo
What the hell am I doin’ here? don’t belong here
代表曲のはずなのですが、あまりきれいな韻を踏んんでいる感じではないですね。特に「Viva La Vida」に比べると明確です。おかしいですね。「Creep」が特殊なのかもしれません。別の曲をみてみましょう。
A heart that’s full up like a landfill
(「No Surprises」(1997))
A job that slowly kills you
Bruises that won’t heal
You look so tired, unhappy
Bring down the government
They don’t, they don’t speak for us
I’II take a quiet life
A handshake of carbon monoxide
く、暗い… 韻を踏んでいるとか踏んでいないとか以前に暗すぎる。しかしやはり、きれいに韻を踏んでいるかと言われたら、首を傾げざるを得ません。
ちょっと雲行きがあやしくなってきました。
Radiohead は韻を踏んでいるのか?
気になったのでインターネット情報で恐縮ですが、「Radiohead Lyric Rhyme」などで検索してみました。
すると。「Pro tip: Your song does not have to rhyme」という Reddit の投稿 (https://www.reddit.com/r/Songwriting/comments/gy5xlz/pro_tip_your_song_does_not_have_to_rhyme/ )によると (インターネットのうえ、Reddit で本当に申し訳ない)、Radiohead はあまり韻を踏まないようですね。
くどいようですがインターネット情報なので、信頼度は不明ですが。
洋楽アーティストによる、韻を踏んでいない楽曲例
そこで気になって、「song lyric does not have rhyme」などのワードでもう少し調べました。すると少ないながらも事例を見つけました。
「When Songs DON’T Rhyme – Leonard Cohen’s ‘Suzanne’… and Others」(https://tonyconniff.com/when-songs-dont-rhyme-leonard-cohens-suzanne-and-others/) によると、Lenardo Cohen「Suzanne」(1967) は、韻は弱いそうです。Lenardo Cohen は日本ではそこまで有名ではないかもしれませんが、「Suzanne」は YouTube 公式で 1000 万回以上再生されているので、人気がないとは言えません。
上記の記事では、「Suzanne」意外にも、サイモン&ガーファンクルや Radiohead など、韻が希薄な楽曲の例が挙げられていました。
ということで、私は Twitter やはてブで叩かれている Sagishi さんを援護・味方しようと思って、「ほら! これも! これも! 英語はみんな韻を踏んでいる!」と示したく、いろいろ調べ始めたのですが、話はあまり単純ではなさそうです。
ただ、やはり韻を踏んでいないのは「ただの例外」かもしれません。Lenardo Cohen だって他の楽曲ではしっかり韻を踏んでいます。
rhyme のない英詩
そこで、そのような例外は他にあるのか、要するに脚韻のない詩が、英語にはあるのか、と思い、もう少しインターネット情報を調べました。
そしたら私の不勉強で大変お恥ずかしいのですが、Blank Verse というのがあるのですね。
- Encyclopedia Britanica – blank verse (https://www.britannica.com/art/blank-verse)
ただこれも、劇詩や物語詩の形式のようですので、ふつうの詩とは少し違うかもしれないですね。
Blank Verse というのは、私もこの記事を書きながら調べながら初めて知ったので、これ以上は何も、詳しいことは言えません。
詩というのは奥が深いんだな、と、改めて思った次第です。
最後、結論が弱いですが。
あと「アイドル」のラップ・パートについてとかありますが。
今回はこの辺で。
萌え声のラップ
と思ったのですが、そうですね、萌え声というか、幼い声のラップなら、ここ数年なら、
- ぱちぱちコズミックコンピュータ (「星屑ロケット」(2021)https://www.youtube.com/watch?v=Bp7-HRps–E ※ ぱちコズはフィーチャリングで、cuffboi の楽曲です)
- Lil Niina (「akumachan」(2022))https://www.youtube.com/watch?v=262RpuHNVnA
あたりを推したいです。ラップに分類するにはフロウがメロディアス過ぎますが、00 年代 〜 10 年代の「文化系女子ラップ」とは違って、ちゃんとヒップホップのサウンドの延長線上にありつつ (実際はハイパーポップとして括られていますが) 聴きやすくて、しかもかわいい、という、新たなインディーラップというか。そういうのを感じますね。
こういうのを聴くと、萌え声ラップにも可能性は感じますし、YOASOBI「アイドル」はもっと声を加工しても良かったのでは? と思いますね。もっとバリバリ割って。声を。そっちの方がカッコいいかも。
ということで。最後、余計なことも書きましたが。
この辺で失礼します。
批評について
やっぱり補足。自分が好きな楽曲が辛口批評されたから、て、ムキになってとんちんかんなリプライ・コメントなどする人が多すぎ。個人的な観測範囲ですが。
「アイドル」の英詞が韻を踏んでないから稚拙だ、と言われて腹立つんだったら、韻を踏んでない英詞を調べて・探してきて「これはどうですか」「こっちのはどうですか」みたいな反論をしないと。
そこでようやく「Radiohead の詞は脚韻は弱いけどこれこれこういうところが構造化されていて良い。対して「アイドル」は~」みたいな反論ができると思うんですけど、そうじゃないとお互い誤解の解き合いで、あまり発展性がないですよね。
ていうか、書き手側 (←これは Sagishi さんのことではないですよ!)も、「売れているものがなぜ売れているか」みたいな批評が多くて、「この曲は売れているけどこういうところは問題だ」みたいな批評、ここ 10 年くらいかなり減ったと思いますね。これも個人的な観測範囲ですが。「売れてるものがなぜ売れてるか」を書いた方が、読み手の受けは良いし、書いたところで攻撃されないですからね。書き手も読み手も、売れてるものを売れてると確認するだけ。それでいいんだったらそれでいいですが。
でも批評する者の矜持というか、自分の価値観を信じて、堂々と、売れてないけどコレは良いんだ! とか、これは売れてるけどダメだ! みたいなことをバシッ! と書いて、その記事 1 本でアーティストの命運を左右してしまうみたいな、そういう気概が書き手にもあっていいと思うんですけどね。
私は最近は批評とは距離をとっているので。やりませんが。
批評家のみなさんはもっとがんばって。
ということで。最後、余計なことも書きましたが。
この辺で失礼します。
(2023 年 6 月 12 日 加筆(1): モーニング娘。について加筆しました)
(2023 年 6 月 12 日 加筆(2): Break Coreについて加筆しました)
(2023 年 6 月 12 日 修正: 「「さりげなくない」転調」を、「「露骨に」転調」へ修正しました)