さて、『~ 古楽のすすめ』「十一章」では、「忘れ去られた音楽」という表題で、中世からルネサンス、バロック時代の「民間」の音楽がテーマになっています。この時代の「民間」の音楽はほとんど存在していない。しかし、「ほとんど」なので、なかには中世からルネサンス、バロック時代の「民間」の音楽であっても、残っている場合があります。
「たとえば知識階級に属する人たちの中に、こうした庶民の音楽に興味を持つ者がいて、その旋律を楽譜に書き写したなどという可能性も残されている」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) p. 229)
のです。
「事実、中世後期やルネサンス時代の楽譜の中にも、たぶん当時の流行歌の旋律を書き取ったのではないかと思われる例が残っているし、理論家がそれとおぼしい旋律をその著書の中に引用している例なども知られている。しかし、それらの例もおおかたは説明不足だったり、不正確だったりして、元の形を復元することはほとんど不可能といえる」
つまり、完全ではないが、「庶民の音楽」の記録と思われる「知識階級に属する人たち」の楽譜が現存する、ということです。
しかし・・・、どうでしょうか。仮に、一部残されている当時の「庶民の音楽」の記録を再現したとして、それは「再現」と言えるでしょうか。「庶民の音楽」は常に動的です。「記録」された瞬間に、その動的な性格は失われます。つまり、「記録」されたものを再現したところで、当時の庶民の音楽を再現することは決して不可能なのではないでしょうか。
もちろん、史学的な興味を元に、とにかく記録を忠実に再現することを目標にするのであれば、興味を持つ者にとって意味のあることなのかもしれませんが。