あるフィクションの物語について、作者の実生活 (人生といってもいいかもしれませんが) と物語との関連が考察されることがありますね。例えば、物語の主人公が作者自身なのではないか、とか、登場人物は作者の身近な人なのではないか、とか。もちろん作者自身が私小説だ、と公言しているケースもありますが。そうでない、現実離れしているような設定の物語であっても、登場人物のモデルに作者の身近な人を見立てる、といった解釈がされることがありますね。
続きを読む宮﨑駿監督・映画『君たちはどう生きるか』の現代的価値: 誰をターゲットにした映画だったのか?
先日、宮﨑駿の新作アニメ映画『君たちはどう生きるか』の考察記事、「革命のリビドー」を公開したのですが、
「革命のリビドー」では、フロイトやマルクスなどを参考にしながら、独自な視点で考察しました。
続きを読む革命のリビドー: 宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』公開初日・初見ネタバレ考察
本記事には『君たちはどう生きるか』のネタバレが書かれています。
公開初日、レイトショーで観てきました。
タイトルの元ネタになった小説は読んだことがあります。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』。ただし、何年も前で、内容もうろ覚えです。
鑑賞前のネタバレは、声優と主題歌程度で、それ以外はありませんでした。物語についての事前情報はナシ。
ただし、先入観として、吉野源三郎の小説が原作だと思い込んでいました (逆に言うと、それくらい事前情報を知らなかった)。
続きを読むサビで転調する J-POP (ほか、転調が印象的な J-POP)
2020 年代の J-POP はヒットチャート上位でもひんぱんに転調するなど、かなり技巧的な楽曲が多いですね。テン年代以前にそのような楽曲がなかったのかというと、さすがに Official 髭男 dism「Cry Baby」(2021) みたいに極端なものはなかったかもしれません。しかし転調を効果的に使う楽曲は、J-POP ではそれほど珍しいものではありません。
例えばよくあるパターンが、最後の最後の大サビで、半音や全音、メロディーの形そのままに移調する、という転調パターンです。例えば宇多田ヒカル「First Love」(1999) がそうですね。
続きを読むキメラ・ポップのルーツを求めて: YOASOBI「アイドル」のように展開が非常に多い楽曲はどこから来たのか
※この記事は、「Sagishi さんの YOASOBI「アイドル」評が興味深かったのでいろいろ調べました」 の補足記事です。
YOASOBI「アイドル」(2023) の特徴の 1 つに、非常に展開が多いことが挙げられます。そしてその展開ごとに、異なるジャンルの手法が使われていると思います。私が思うに「アイドル」は、
- K-POP 風のラップ (※1)
- 「夜を駆ける」にも通じるオーソドックなポップス
- Linked Horizon のようなアニソン版シンフォニックメタル
という 3 つのジャンルを展開ごとに切り替えています。
続きを読む英語の歌詞に韻 (rhyme) は必要か?
「韻を踏んでいる / 踏んでいない」「韻を踏む必要がある / ない」といった議論は、どういう理由かとても取り締まりに厳しい方々、通称ライム・ポリスがいらっしゃいます。ライム・ポリスのうち特に厳しい、もしかして過激派なのでは? と勘繰ってしまう一派は特に、韻暴論者と言われています。嘘です。韻暴論者、さきほど YouTube で調べたらさらに近づき難い同名のラップ・ユニットが存在しました。どこまで冗談なのか本当なのか、とにかく私は韻、というか rhyme の議論にあまり参加したくないのですが、調べていくうちに非常に興味深いことが分かりました。ですので、よくある「調べてみました!」系と似たような「英語の歌詞に韻は必要? 調べてみました!」的記事を残しておきます。
自分用のメモです。
主にインターネットの情報を集めたものです。
あまり信用度は高くないと思ってください。
続きを読むSagishi さんの YOASOBI「アイドル」評が興味深かったのでいろいろ調べました
※ 2023 年 6 月 12 日追記(1): 補足記事を書きました「キメラ・ポップのルーツを求めて: YOASOBI「アイドル」のように展開が非常に多い楽曲はどこから来たのか」
※ 2023 年 6 月 12 日追記(2): 補足記事を書きました (2) 英語の歌詞に韻 (rhyme) は必要か?
Sagishi (@sagishi)さんの YOASOBI「アイドル」(2023) 評が興味深かったので、
- YOASOBI『アイドル』の異様さの評価+常識外れの英語歌詞の問題について https://note.com/yasumisha/n/nb69de4c016db
私もいろいろ調べました。
続きを読む中世ヨーロッパにおける音楽と哲学の関係性: 倫理・政治・記号
音楽と哲学という二つの分野は、現代では異なる学問領域として扱われています。しかし、中世ヨーロッパにおいては、これらは密接に結びついていました。当時、音楽は単なる芸術表現としてではなく、宇宙の秩序や人間の倫理、さらには宗教的な実践と深く関わっていたのです。『The Oxford Handbook of Western Music and Philosophy』の「The Middle Ages」では、このような音楽と哲学の関係性が詳細に探求されています。本記事では、この内容を基に、中世における音楽と哲学の交差点について詳しく解説していきます。
まず、中世において音楽はどのように哲学的な枠組みの中で捉えられていたのかを見てみましょう。音楽は、いわば「musica」という学問分野の一部として扱われ、その中で数理的、理論的な探求が行われていました。この「musica」は、いわゆる音楽実践だけでなく、宇宙の調和や人間の精神と身体の関係までをも含む概念でした。音楽は、ただ音を楽しむためのものではなく、哲学的な思索や倫理的な指導、さらには宗教的な儀式の中で重要な役割を果たしていたのです。
中世の哲学者たちは、音楽が人間の魂に及ぼす影響についても深く考察しました。音楽は単なる感覚的な快楽を超え、リスナーの性格や行動にまで影響を及ぼすとされていたのです。特にアウグスティヌスやボエティウスのような思想家は、音楽がもたらす倫理的な影響について注目しており、音楽の力が宗教的な信仰や政治的な統治にも関わると考えていました。
中世の音楽はまた、社会的な構造や権力とも深く結びついていました。例えば、音楽は宮廷や教会の儀式に欠かせない存在であり、そのため、音楽を通じて倫理的なメッセージが伝えられたり、社会的な規範が強調されたりしていました。このように、音楽は単なる芸術ではなく、社会全体に影響を与える重要な手段とされていたのです。
この記事では、中世における音楽と哲学の関係を「中世音楽の哲学的枠組み」「倫理と音楽」「音楽と政治」「音楽理論と論理学」などのテーマに分けて詳しく解説していきます。中世音楽がどのようにして哲学的な枠組みの中で発展し、どのように人間の倫理や政治、さらには論理学と関わってきたのかを探っていきましょう。
中世音楽の哲学的枠組み
中世における音楽は、今日の「音楽」とは異なり、広範な哲学的・理論的な枠組みの中で理解されていました。中世の学問体系では、音楽は「自由七科」(liberal arts)の一部であり、四つの数学的な学問である「四科」(quadrivium)の一つとして位置づけられていました。「四科」には、算術、幾何、天文学、そして音楽(musica)が含まれ、音楽は数学的な探求の対象であり、数理的に整理された知識体系の一環として扱われていたのです。
この「musica」という概念は、今日私たちが思い浮かべる演奏や作曲に限定されたものではなく、より抽象的で理論的な分野でした。音楽は宇宙の秩序や人間の魂の調和を探求する手段であり、物理的な音だけでなく、音楽が持つ数的な構造や理論的な基盤が重視されていたのです。特に、プラトンやピタゴラスの思想に影響を受けた中世の哲学者たちは、音楽を宇宙全体の調和と結びつけ、「天の音楽」(musica mundana)や「人間の音楽」(musica humana)という形で、音楽を超越的な存在と見なしていました。
また、音楽は「音響としての音楽」(musica instrumentalis)だけでなく、理論的な思索の対象でもありました。中世の哲学者たちは、音楽を数的な比率や調和の表現として捉え、その理論を通じて宇宙や人間の理解を深めようとしました。これは、ピタゴラスの音階理論やボエティウスの音楽論に強く影響されています。ボエティウスは、音楽を三つのカテゴリーに分け、音響的な音楽(musica instrumentalis)、宇宙の調和を表現する天の音楽(musica mundana)、そして人間の魂と身体の調和を示す人間の音楽(musica humana)としました。この分類により、音楽は感覚的な体験を超えた、哲学的な探求の一環として位置付けられました。
特に中世前期には、音楽理論と哲学の境界が曖昧であり、多くの哲学者が音楽理論の著作を執筆していました。例えば、アウグスティヌス(Augustine)やボエティウス(Boethius)は、音楽理論に関する重要な著作を残し、音楽が倫理や宗教、宇宙の構造にどのように影響を与えるかについて考察しています。彼らにとって音楽は、単なる音の美しさを楽しむものではなく、深い倫理的・哲学的な意義を持つものでした。
また、中世後期においては、アリストテレスの影響を受けた学問的な音楽理論が発展し、音楽が人間の理性や倫理とどのように関わるかが探求されるようになりました。アリストテレスの思想では、音楽は感覚的な快楽を超えて、リスナーの性格や行動に影響を与える力があるとされていました。これは、音楽が教育や政治においても重要な役割を果たすという考え方につながり、後に詳しく述べるように、中世における音楽の社会的な位置づけにも大きな影響を与えました。
このように、中世における音楽は、単なる音の芸術ではなく、哲学的な枠組みの中で探求され、理解されていたのです。音楽は、宇宙の調和や人間の倫理、そして理性的な探求の一環として、中世の思想家たちによって重要視されていました。
倫理と音楽: 人間の魂への影響
中世において、音楽は単なる娯楽や感覚的な快楽を超えて、リスナーの精神と行動に深く影響を与えるものと考えられていました。特に、音楽の倫理的側面が強調され、音楽がどのようにして人々の魂や性格に影響を与えるかが哲学者や神学者たちによって議論されました。この音楽の倫理的な力は、音楽が持つ数的な調和やリズム、旋律が、人間の心の秩序や調和を促進するものとされていたからです。
最も影響力のあった中世の哲学者の一人であるボエティウス(Boethius)は、音楽を人間の精神と密接に関連づけました。彼の著作『音楽論』(De Musica)では、音楽が人間の魂に与える影響を分析し、音楽は魂を調和させ、道徳的な美徳を育むための手段であると述べています。彼は、音楽が魂に与える影響を「musica humana」と呼び、人間の身体と魂の調和を表現するものと位置づけました。音楽が持つ数的な秩序は、人間の精神の秩序とも一致し、その結果、音楽を聴くことによって心が整えられ、徳を高めることができるとされました。
また、アウグスティヌス(Augustine)も音楽の倫理的側面に強く関心を寄せていました。彼の『告白』(Confessiones)では、音楽が人々の感情に与える影響について深く考察しており、音楽がリスナーを感情的に動かす力を持っている一方で、その力が宗教的な信仰や道徳的な規範を強化する役割を果たすべきであると述べています。彼は、音楽が感覚的な快楽に陥ることを警戒しつつも、正しく使えば魂の浄化や神への信仰を深める手段となると認識していました。特に教会の儀式において、音楽がどのようにして信徒の心を高揚させ、神への信仰を深めるのかが重要な課題とされていたのです。
しかし、中世の哲学者たちは、音楽が倫理的に悪影響を与える可能性にも注意を払っていました。音楽のリズムや旋律が感情を過度に刺激し、リスナーを道徳的に堕落させる可能性があると懸念されていたのです。例えば、アリストテレスの影響を受けた中世の思想家たちは、音楽がリスナーを「女性化」させる危険性について言及しており、特に男性が感情的に音楽に影響されすぎることで、道徳的な弱さや堕落を招く可能性があると考えられていました。音楽が持つ誘惑的な力は、慎重に扱われるべきものとされ、倫理的に健全な音楽とそうでない音楽が区別されるようになりました。
一方で、音楽が持つポジティブな影響も強調されていました。音楽は人間の心を癒し、道徳的な力を高める手段としても利用されました。特に、音楽が宗教的な儀式や礼拝において重要な役割を果たし、信仰の力を強化する手段として広く受け入れられていました。ボエティウスは、音楽が持つ癒しの力を強調し、音楽が心の平静をもたらし、魂を清める手段であると主張しました。これは、ダビデ王がサウル王を音楽で癒した聖書の物語に基づくものであり、音楽が持つ精神的な治癒力が中世においても重要視されていたことを示しています。
このように、中世における音楽は、単なる感覚的な楽しみを超え、リスナーの倫理や行動に深く関わるものでした。音楽は、魂を調和させ、道徳的な力を高めるための手段として理解され、同時にその誘惑的な力を慎重にコントロールする必要があると考えられていました。倫理と音楽の関係は、中世の思想家たちにとって非常に重要なテーマであり、音楽が持つ倫理的な力が社会や宗教にどのように影響を与えるかが探求され続けました。
音楽と政治: 統治と教育における音楽の役割
中世において、音楽は単なる芸術や娯楽ではなく、政治や教育においても重要な役割を果たしていました。特に、アリストテレス(Aristotle)の影響を受けた思想家たちは、音楽を人間の倫理的成長や政治的統治に不可欠なものとして捉え、音楽が社会の秩序を維持し、正しい統治を支える手段であると考えていました。
アリストテレスは『政治学』(Politics)において、音楽が若者の教育において果たすべき役割について詳細に議論しています。彼は、音楽が単なる娯楽としてではなく、若者に徳を教え、人格を形成するための重要な手段であると述べています。アリストテレスによれば、音楽には人間の魂に影響を与える力があり、その調和やリズムが正しく導かれることで、リスナーの性格や行動に良い影響を及ぼすとされました。彼は、特に若者が音楽を通じて徳を学び、社会的に有益な存在となるために、音楽教育が重要であると考えていたのです。
この考え方は、中世ヨーロッパにおいても広く受け入れられました。音楽は、宮廷や教会において重要な儀式や教育の一環として取り入れられ、統治者や貴族たちは音楽を通じて自己の倫理的成長を図ることが期待されていました。音楽は、統治者が善良なリーダーシップを発揮するための手段としても見なされており、正しい音楽教育を受けた者は、自己の感情や欲望をコントロールし、理性的で徳の高い統治者になるとされていました。アリストテレスの思想に基づくこの音楽教育の重要性は、中世後期に特に強調され、音楽が統治の一環としての役割を果たすようになりました。
また、音楽は社会全体に秩序と調和をもたらす力があると考えられていました。特に、音楽が宗教的儀式や礼拝の中で果たす役割が重要視され、信仰の強化や社会的な統一感を促進する手段として使われました。音楽が宗教的な感情を高揚させることで、信徒たちの信仰心を深め、宗教的な共同体を強化することができるとされていました。このように、音楽は単に個人の内面的な感情に影響を与えるだけでなく、社会全体に影響を与え、秩序と調和を促進する重要な手段とされていたのです。
さらに、音楽は宮廷においても重要な役割を果たしていました。宮廷では音楽が、貴族たちの社交や儀式の中で欠かせない存在であり、政治的な意味合いを持っていました。音楽は、統治者や貴族が自らの権威や徳を示す手段として使われ、音楽を通じてその文化的な洗練さやリーダーシップが示されました。中世の宮廷音楽は、単なる娯楽ではなく、政治的なメッセージを含むものとしての役割を果たしていたのです。
アリストテレスの『政治学』における音楽の役割に関する議論は、後に中世の政治思想にも大きな影響を与えました。特に、宮廷や教会において音楽が果たす教育的、政治的な役割が強調され、音楽が社会の秩序や統治にとって不可欠な要素として理解されました。このように、中世における音楽は、単なる感覚的な快楽や娯楽を超えて、政治や教育においても重要な位置を占めるものとして扱われていたのです。
記譜法の発展とその哲学的背景
中世における音楽の発展の中でも、特に重要な側面の一つは記譜法の進化です。記譜法は音楽の理論的な理解を可能にし、音楽をより論理的に探求するためのツールとして重要視されていました。この記譜法の発展は、中世における論理学や数学の進展とも深く関わっており、音楽がより正確に記録され、複雑な音楽作品が可能になる土台となりました。
中世初期には、音楽は主に口伝えで伝えられていましたが、9世紀頃からネウマという記号を用いた簡単な記譜法が使われるようになりました。この記譜法は、主に聖歌や宗教的な音楽のために用いられ、音楽の旋律やリズムを正確に記録することが求められました。特に教会音楽では、信徒が正確に歌えるように音楽を記録する必要があったため、記譜法の発展は宗教的儀式にとって重要な役割を果たしました。
しかし、これらの初期の記譜法は音の高さやリズムを正確に表すものではなく、演奏者の記憶に頼る部分が多かったため、理論的な精度に欠ける面がありました。そこで、中世後期に至ると、音楽の正確な記録を目指してより精密な記譜法が開発されました。12世紀には、音の高さを表すための線譜が登場し、13世紀にはリズムや音の長さを正確に表すためのリズム記号が導入されました。このような記譜法の進化により、音楽は複雑なリズムやポリフォニー(多声音楽)を可能にし、より高度な作曲技法が発展しました。
特に14世紀に発展した「アルス・ノヴァ」(Ars Nova)の記譜法は、中世音楽の中でも画期的なものでした。アルス・ノヴァは、音楽のリズムをより自由に、かつ正確に記録することを可能にし、従来の固定的なリズムパターンから解放されました。これにより、作曲家たちはリズムの多様性や複雑な音楽構造を探求することができ、音楽の表現力が飛躍的に向上しました。
この記譜法の進化は、単なる技術的な進歩にとどまらず、哲学的な影響も強く受けていました。特にアリストテレスの論理学や数学の影響を受けた音楽理論家たちは、音楽を数理的な構造として捉え、音楽のリズムや音階を論理的に分析しようとしました。音楽の記譜法は、音楽が持つ数理的な秩序を表現するための手段であり、音楽が数学や哲学と同様に理性的な探求の対象であることを示していたのです。
さらに、音楽理論家たちは記譜法を通じて、音楽が持つ知的な側面を探求しました。14世紀には、音楽のリズムや旋律が論理的に展開されるべきであるという考えが広まり、音楽の作曲においても論理的な思考が重視されるようになりました。例えば、ポリフォニーの技法では、複数の旋律が同時に進行する中で、各旋律が調和しつつも独立して展開されることが求められました。このような音楽の複雑な構造は、論理的な思考と数学的な計算によって支えられており、作曲家たちは音楽理論を駆使して作品を作り上げました。
音楽理論と論理学の結びつきは、中世音楽における知的な挑戦を象徴しています。音楽は単なる感覚的な体験にとどまらず、知識や論理を通じて深く探求されるべきものでした。このような記譜法の発展により、音楽は一層高度な知的活動としての位置づけを強め、音楽と哲学の結びつきがさらに強固なものとなっていきました。
結論: 中世音楽が現代に伝えるもの
中世における音楽と哲学の結びつきは、現代においても多くの示唆を与えています。音楽がただの娯楽や感覚的な体験を超えて、哲学的、倫理的、そして政治的な影響力を持つものであったという中世の思想は、私たちの音楽観に新たな視点を提供してくれます。今日、音楽はしばしば個人の感情や美的体験に焦点が当てられますが、中世において音楽はそれ以上に、宇宙の秩序を反映し、魂を導く力を持つものでした。
まず、中世の音楽が数理的な構造に基づいていた点は、現代の音楽理論にも大きな影響を与えています。音楽が持つ調和やリズムが、人間の感情や行動にどのように影響を与えるかは、現代の音楽心理学でも研究されているテーマです。中世の音楽理論家たちは、音楽が倫理や理性に作用し得る力を持つと信じていました。音楽が単なる感覚的な美しさではなく、人間の精神や社会に深く影響を与える力を持つとするこの考え方は、現代においても新たな形で再解釈されています。
また、音楽が社会や政治に与える影響についての中世の考え方も、今日の社会における音楽の役割を考える上で重要です。中世において音楽は、宗教儀式や宮廷の生活に欠かせない存在であり、社会の秩序や統治にも関与するものでした。現代でも、音楽は文化的、政治的なメッセージを伝える手段として強力な力を持っています。特に、政治的なプロパガンダや社会運動において音楽が果たす役割は、音楽が社会を動かす力を持つことを示しており、中世の思想と共鳴する部分があると言えるでしょう。
中世の哲学者たちは、音楽の倫理的な力にも深い関心を持っていました。彼らは、音楽が人々の行動や倫理に影響を与えるだけでなく、リスナーを道徳的に向上させる手段であると考えていました。このような音楽の倫理的な力を再評価することは、現代においても重要です。私たちが日常的に耳にする音楽が、単なるエンターテインメントにとどまらず、人間の倫理や行動に影響を与え得るものであることを意識することは、音楽の力を理解する上で不可欠です。
さらに、音楽と哲学の結びつきは、現代の学際的な研究においても新たな可能性を開きます。中世の音楽理論が数学や論理学と結びついていたように、現代の音楽研究も他の学問分野と連携しながら発展しています。音楽がどのようにして他の知的活動と結びつき、社会や文化に影響を与えるかを探ることは、今後も重要なテーマとなるでしょう。
結論として、中世における音楽と哲学の関係は、現代においても多くの示唆を与えてくれます。音楽が単なる芸術や娯楽の枠を超えて、人間の倫理や社会、さらには宇宙の秩序に関わるものであったという考え方は、私たちが音楽をどのように捉えるかに新たな視点を提供します。『The Oxford Handbook of Western Music and Philosophy』の「The Middle Ages」に描かれているように、中世の音楽は哲学的な枠組みの中で深く探求され、その影響力は現代にも通じるものがあるのです。
古代ギリシャにおける音楽と哲学の結びつき
音楽はどこから来て、私たちに何をもたらすのでしょうか?それはただの娯楽なのでしょうか?それとも、もっと深い意味を持っているのでしょうか?こうした疑問は、現代だけでなく、古代ギリシャでも大いに議論されていました。『The Oxford Handbook of Western Music and Philosophy』の「Ancient Greece」【Amazon】は、古代ギリシャの音楽に関する哲学的探求を紹介しており、その影響が現代の音楽理論や美学に及んでいることを示しています。この章を通じて、古代ギリシャの音楽がどのように哲学と結びつき、社会的・倫理的な影響を持っていたのかを深く考察してみましょう。
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