ベートーヴェンは1770年12月16日に生まれました。父はボンの選帝侯宮廷のテノール歌手ヨハン、母の名前はライムです。
ベートーヴェンの生涯、およびその創作は、
(1)ボン時代(1770年〜92年)
(2)ウィーン時代(1792年〜1827年)
に大きく分けられます。
目次
ボン時代
ベートーヴェンは父親から音楽を教わり、早くから才能を発揮しました。1778年には、初めて演奏会に出演しました。
当時のベートーヴェンの教師としては、宮廷オルガン奏者ネーフェが重要だったと言われています。ネーフェはベートーヴェンに、作曲、また、J. S. バッハ Johann Sebastian Bach や、C. P. E. バッハ Carl Philipp Emanuel Bach の音楽を教えました。
1784年、ベートーヴェンは無給ながらも、宮廷オルガン奏者の助手になりました。1787年には初めてウィーンへ行くことになります。しかし母親の危篤の知らせが届き、わずか2週間でボンへ変えることになりました。
1789年、ベートーヴェンはボン大学に入学しました。劇場ではヴィオラを弾いていました。
1792年、ロンドンからウィーンへ戻ってきたハイドンに、自分の作曲した声楽曲を見せ、ハイドンの下で学ぶ許可を得ることができました。当時のベートーヴェンのパトロンだったマクシミリア・フランツ Maximilian Franz von Österreich 選帝侯からも、1年間のウィーン滞在を認められました。
ボン時代の作品
ボン時代の作品としては、
- 《選帝ソナタ》Sonatas “Kurfürsten”(マンハイムの作曲家たちやC. P. E. バッハの影響が強い。クラヴィーア用)
- 《リギーニのアリエッタによる24の変奏曲》 24 Variations on Righini’s Air(ベートーヴェンの演奏家としての側面が現れている)
- 《クラヴィーア四重奏曲》(モーツァルトのヴァイオリン・ソナタがモデル)
- 《皇帝ヨーゼフ2世の死を悼うカンタータ》(モーツァルトや、ホルツバウアー Ignaz Holzbauer からの影響がみられる)
- 《皇帝レオポルト2世の即位を祝うカンタータ》(モーツァルトや、ホルツバウアーからの影響がみられる)
などがあります。
この時期のベートーヴェンは、交響曲やピアノ協奏曲などウィーン古典派のジャンルを作曲するには至っていませんでした。当時、ウィーン行きを支援したヴァルトシュタイン伯爵は、ベートーヴェンに次のように言ったと伝えられています。