古典派の音楽(4)ハイドン: 弦楽四重奏、声楽曲

西洋音楽史、古典派の4回目です。古典派とは、ハイドン Franz Joseph Haydn 、モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart  、ベートーヴェン Ludwig van Beethoven の3人を指し、より厳密には彼らの活躍した時期でも1780年〜1820年を指します。前回のエントリーでは、この3人のうちハイドン、特にその交響曲についてとりあげました。ハイドンは、「交響曲の父」と同時に、「弦楽四重奏の父」とも呼ばれています。今回のエントリーでは、交響曲と並んでハイドンの重要なジャンルである弦楽四重奏と、合わせて声楽曲も取り上げます。

目次

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弦楽四重奏

ハイドンが残した弦楽四重奏は、67曲です。作品1の10曲は、1757年〜59年の作品で、2つのメヌエット menuet を有する5楽章のディヴェルティメント divertimento です。

※ディヴェルティメント: イタリア語で「楽しい」「面白い」「気晴らし」といった意味の divertire が語源。この語源の通り、明るく軽妙で、楽しい曲風の、18世紀の器楽組曲。日本語では喜遊曲とも訳されます。楽器編成に指定はなく、形式・楽章数も自由でした。

1770年〜72年に作曲された作品9、17、20は、エステルハージ家の楽団の為に書かれ、声部書法の精巧さが増したと言われています。特に作品20は、ハイドンがこの分野での古典的な様式を確立させた作品です。

1781年、《ロシア四重奏曲》The“Russian” quartets が出版されました。ハイドン自ら「まったく新しい特別の方法によって作曲した」と語った作品です。この作品は、モーツァルトに大きな影響を与えました。

《ロシア四重奏曲》以降は、

  • 《プロイセン》The“Prussian” quartets(作品50)、
  • 《第1、2トスト》The“Tost” quartets, sets I & II(作品54〜55、64)、
  • 《アポニー》The “Apponyi” quartets(作品71、74)

までが、エステルハージ家時代からロンドン時代の作品です。これらの楽曲は、ロンドンでも演奏されました。

2回のロンドン滞在を終えてからの作品は、

  • 《エルディーディ》The “Erdödy” quartets(作品76)
  • 《ロプコヴィツ》The “Lobkowitz” quartets(作品77)

です。

これらの楽曲では、楽章内や楽章間の調構成などに新しい試みがなされています。

声楽曲

ハイドンはミサ曲を12曲残しました。このうち6曲はエステルハージ家時代の作品、残りの6曲はロンドン滞在以後の1796年〜1802年の作品です。後者の、ロンドン滞在以後の作品は、エステルハージ侯妃の目命名祝日のミサ曲に作曲され、それぞれ《戦時のミサ》Missa in tempore belli、《ハイリヒ・メッセ》Heiligmesse《ネルソン・ミサ》Nelson Mass《テレジア・ミサ》Theresienmesse、《天地創造ミサ》Schöpfungsmesse《管楽ミサ》Harmoniemesse という名前がつけられています。

同じ時期、ロンドンでヘンデルのオラトリオを聴いたのをきっかけに、

  • 《天地創造》Die Schopfung
  • 《四季》Die Jahreszeiten 

が作曲されました。この2つの作品の台本は、いずれもスヴィーテン男爵の訳・編によるものでした。

ハイドンのミサ曲・オラトリオは、ウィーン古典派の交響様式を基礎に、独唱・合唱の声楽様式を巧みに結合させ、古典派の宗教音楽の典型になりました。

エステルハージ時代には、宮廷行事に際してイタリア語オペラが12曲作曲されました。また、ザロモンとの契約で《哲学者の魂》を作曲しましたが、ハイドンの生前に上演されることはありませんでした。

参考文献

  • 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
  • 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
  • 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
  • 山根銀ニ『音楽の歴史』

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