古典派の音楽(8)べートーヴェン: 作品と生涯 その1 ボン時代

古典派とは、ハイドン Franz Joseph Haydn 、モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart  、ベートーヴェン Ludwig van Beethoven の3人を指し、より厳密には彼らの活躍した時期でも1780年〜1820年を指します。前回のエントリーまでで、ハイドンモーツァルトを取り上げました。今回から、ベートーヴェンを取り上げます。

ベートーヴェンは1770年12月16日に生まれました。父はボンの選帝侯宮廷のテノール歌手ヨハン、母の名前はライムです。

ベートーヴェンの生涯、およびその創作は、

(1)ボン時代(1770年〜92年)
(2)ウィーン時代(1792年〜1827年)

に大きく分けられます。

目次

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

ボン時代

ベートーヴェンは父親から音楽を教わり、早くから才能を発揮しました。1778年には、初めて演奏会に出演しました。

当時のベートーヴェンの教師としては、宮廷オルガン奏者ネーフェが重要だったと言われています。ネーフェはベートーヴェンに、作曲、また、J. S. バッハ Johann Sebastian Bach や、C. P. E. バッハ Carl Philipp Emanuel Bach の音楽を教えました。

1784年、ベートーヴェンは無給ながらも、宮廷オルガン奏者の助手になりました。1787年には初めてウィーンへ行くことになります。しかし母親の危篤の知らせが届き、わずか2週間でボンへ変えることになりました。

1789年、ベートーヴェンはボン大学に入学しました。劇場ではヴィオラを弾いていました。

1792年、ロンドンからウィーンへ戻ってきたハイドンに、自分の作曲した声楽曲を見せ、ハイドンの下で学ぶ許可を得ることができました。当時のベートーヴェンのパトロンだったマクシミリア・フランツ Maximilian Franz von Österreich 選帝侯からも、1年間のウィーン滞在を認められました。

ボン時代の作品

ボン時代の作品としては、

  • 《選帝ソナタ》Sonatas “Kurfürsten”マンハイムの作曲家たちやC. P. E. バッハの影響が強い。クラヴィーア用)
  • 《リギーニのアリエッタによる24の変奏曲》 24 Variations on Righini’s Air(ベートーヴェンの演奏家としての側面が現れている)
  • 《クラヴィーア四重奏曲》モーツァルトのヴァイオリン・ソナタがモデル)
  • 《皇帝ヨーゼフ2世の死を悼うカンタータ》モーツァルトや、ホルツバウアー Ignaz Holzbauer からの影響がみられる)
  • 《皇帝レオポルト2世の即位を祝うカンタータ》モーツァルトや、ホルツバウアーからの影響がみられる)

などがあります。

この時期のベートーヴェンは、交響曲やピアノ協奏曲などウィーン古典派のジャンルを作曲するには至っていませんでした。当時、ウィーン行きを支援したヴァルトシュタイン伯爵は、ベートーヴェンに次のように言ったと伝えられています。

「不断の努力によって、ハイドンの手からモーツァルトの精神を受け取り給え」

参考文献

  • 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
  • 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
  • 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
  • 山根銀ニ『音楽の歴史』

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

関連コンテンツとスポンサーリンク

【関連コンテンツとスポンサーリンク】



【スポンサーリンク】
スポンサーリンク