愛の行き過ぎ

「しかし愛の行き過ぎである」(キェルケゴール『キリスト教の修練』)

いま、キェルケゴールの『キリスト教の修練』を読んでいるのですが、「愛の行き過ぎ」という表現がありました。

「愛の行き過ぎ」って、何だかカッコいいですね。

自作楽曲の歌詞を書く作業の際、これを1人で行う場合、そのときどきに読んでいる本からの影響が如実に出てしまいます。というか、そうでないと書けないのです(笑) いま書くと、 実 践 とか 躓 き とかいう単語をガシガシ使ってしまいそうです。

私自身は、程度の低い 躓 き 者 ? でしかないのですが。

しかし「愛の行き過ぎ」ってカッコいいなあ。

「愛の行き過ぎ」というタイトルで歌謡ロックを書くべきであるな。

その前に「恋するファシズム」というタイトルで、北欧ポップスを書かなければいけないのだけど。


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