西洋音楽史、バロックの14回目です。前回のエントリーまでで、バロック期の声楽、器楽について取り上げましたが、今回は、バロック期に活躍した音楽家を取り上げます。バロック期に活躍した音楽家と言えば、先ずは何と言ってもバッハ Johann Sebastian Bach でしょう。
1.生い立ち
バッハは中部ドイツの音楽家の家系の出身です。
父はアイゼナハの町楽師でした。バッハはこの父から、職人的音楽教育を受けます。
1694年、バッハは両親を失ったために、オルガニストであった長兄を頼りました。そして1700年から、リューネブルクの高等学校の給費生になって音楽の勉強を続けました。
そんなバッハの、職業音楽家としての生涯は、以下の4つに区分されます。
(1)アルンシュタット/ミューハウゼン時代(1703年〜08年): 教会オルガニスト
(2)ヴァイマル時代(1708年〜17年): 宮廷礼拝堂オルガニスト。14年からは楽師長
(3)ケーテン時代(1717年〜23年): 宮廷楽長
(4)ライプツィヒ時代(1723年〜50年): 聖トーマス協会カントル(合唱長)
2.アルンシュタット/ミューハウゼン時代
1705年からバッハは、アルンシュタットの教会オルガニストとして頭角を現し始めました。この時期にバッハは、北ドイツオルガン楽派だったブクステフーデ Dieterich Buxtehude のオルガン演奏を聴くためにリューベックへ行き、その演奏に感銘を受けました。
バッハの有名な作品に、
- 〈トッカータとフーガ ニ短調〉(BWV 565)
がありますが(ちなみにこの作品、偽作説があります・・・(笑))、この作品をはじめこの時期のオルガン曲には、ブクスフーデからの影響が強いと言われています。
3.ヴァイマル時代
ヴァイマルではバッハは、オルガン曲の大半を作曲するとともに、ヴィヴァルディ Antonio Lucio Vivaldi などのイタリア作曲家の協奏曲を研究して、オルガンやハープシコードのための作品に編曲しました。
この時代に学んだイタリアの新しい音楽様式は、後に
- 《ブランデンブルク協奏曲》Brandenburgische Konzerte
などの器楽作品の制作へとつながりました。
4.ケーテン時代
ケーテンの宮廷学長時代、バッハは音楽好きの領主レオポルト公の厚遇を得ることができたため、恵まれた環境で音楽に専念することができたと言われています。
バッハには世俗曲ももちろん残していますが、その世俗曲の大半はこのケーテン時代に作曲されたそうです。
この時期の代表作には、現代でもよく名作と呼ばれる作品があります。
- 《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》
- 《無伴奏ヴァイオリン・パルティータ》
- 《無伴奏チェロ組曲》
- 《管弦楽組曲》
- 《ブランデンブルク協奏曲》
などが挙げられます。
また、同時期に制作された
- 《インヴェンションとシンフォニア》
- 《フランス組曲》
- 《平均律クラヴィーア曲集第1巻》
などのクラヴィーアのための傑作と呼ばれる作品群は、弟子や子どもたちの音楽教育をきっかけとして生まれました。
特に有名な24の調全てが用いられた《平均律クラヴィーア曲集第1巻》ですが、バッハがどのような音律を想定していたかは、議論が分かれます。なお、原題は《Das wohtltemperierte Clavier》であり、直訳すると「ほどよく調律されたクラヴィーア」になります。つまり、必ずしも12等分平均率を意味する言葉ではありません。
5.ライプツィヒ時代
5—1. 教会音楽
1723年、バッハはライプツィヒへ赴き、聖トーマス教会のカントル Kantor(キリスト教音楽の指導者)、および市の音楽監督に就任しました。
ここでバッハは、教会音楽を中心に作曲を行います。7年間で140曲以上の教会カンタータや、
- 《マタイ受難曲》Matthäus-Passion
を作曲しました。
しかしバッハは、市参事会や聖職者会議との度重なる衝突し、教会音楽への情熱を失っていきます。
5—2.コレギウム・ムジクムの指揮者として
1729年、バッハは大学生の演奏団体であるコレギウム・ムジクム Collegium Musicum の指揮者に迎えいれられました。
バッハはここで、1740年に職を辞するまでに、多くの世俗カンタータや、チェンバロ・コンチェルトを、コレギウム・ムジクムのために作曲しました。
コレギウム・ムジクムとは別に、教会音楽に変わり、バッハが精力的に行った別の活動は、(1)旧作の改訂、(2)いくつかの曲をまとめた総合的な作品の作曲・出版でした。この時期の代表作として、
・《ゴルトベルク変奏曲》
・《平均律クラヴィーア曲集第2巻》
が挙げられます。
晩年にはバッハは、これまでにない音楽的境地を開拓したと言われています。晩年の代表作としては、高度な対位法技法と芸術性による大作、
- 《音楽の捧げもの》
- 《フーガの技法》
が挙げられます。
しかし、晩年のバッハの作品は当時、時代遅れとみなされ、死後急速に忘れ去られてしまいます。
6.バッハの音楽性
バッハはオペラを除くほとんどすべてのジャンルの音楽を作曲しました。
バッハの作品は、彼の育った中部ドイツの伝統的音楽様式や、南ドイツの音楽様式をはじめ、
- 北ドイツの音楽様式: 大胆な表現法と重厚な対位法、
- イタリアの音楽様式: 歌謡性、明快な和声、ダ・カーポ・アリアと協奏様式、
- フランスの音楽様式: 色彩的な管弦楽法、鍵盤音楽の優美な書法と繊細な装飾法
を取入れた総合的なものです。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』