「古楽」については、以下を参考にしてください。
『〜 古楽のすすめ』によると、現代のわれわれが中世と呼んでいる時代の「民間」の音楽は、すべて消えてしまっています。これに関連して、「七世紀のスペインの理論家セビリャのイシドール」のことばが引用されています。
「それはまさに〔中略〕イシドールが、「人の記憶によって残しておかれない限り、音というものは消滅する。何故ならば、それは記述することはできないのだから」と言ったとおりなのである」(金澤正剛『新版 古楽のすすめ』(2010年、音楽之友社) p.226 )
さらに中世の音楽だけではなく、ルネサンスやバロックの音楽についても、「民間」の音楽は消えてしまっている、と指摘します。
「同様のことは、実は情報がはるかに豊富なルネサンスやバロックの音楽についても言えるのである。例えば、ルネサンスといえばポリフォニー音楽の全盛時代に当たるが、だからといって猫も杓子もポリフォニーを歌っていたわけではあるまい。むしろポリフォニーを心から喜んで歌ったり、聴いたりしていたのはほんの一部の知識層に限られ、一般大衆はそれとは異なる、より平易な音楽を楽しんでいたに違いない。
けっきょく、記され・残されたものが、何故記され・残されたのか、これを考えないと、当時のヨーロッパの音楽状況を正確に理解することは難しい、ということかもしれません。
ただ、当然ですが、歴史を再現するというのは不可能です。不可能だから、グレゴリオ聖歌であるとか、ポリフォニーであるとか、残されたもので以って、過去を記述するしかない。