では何故、バッハが境目になるのでしょうか。『新版 古楽のすすめ』によると、「バッハを境目に平均律が定着したということが重要である」(金沢正剛(2010)『新版 古楽のすすめ』音楽之友社p. 23)
また、
とのことです。
平均律とは、1オクターブを12分割する音律で、こんにち、ポピュラー音楽を制作する際の基本になっている音律です。
また、ハーモニーも、こんにちのポピュラー音楽を制作する際の基本になっています。つまり、「バッハを境に〔中略〕旋律中心の作り方から、ハーモニーを前提とした作り方に変わった」とは、メ ロ デ ィ ー に コ ー ド を つ け る (あるいはその逆)作り方に、音楽が変化していった、と言うことができるでしょうか。
また、この「ハーモニーを前提とした作り方」は、「長調」と「短調」を前提としているとのことです(同書 p.27)。「メジャー」と「マイナー」を前提としていると言い換えることができるかもしれません。
なお、この「長調」と「短調」についてですが、
「長調と短調は、最初それぞれイオニア旋法とエオリア旋法として十六世紀前半に登場した(同書 p.28)
とのことです。この後に「ただし」と続きますが、その部分は割愛します(すみません)。
こうして読んでみると、バッハを境に、こ ん に ち の ポ ピ ュ ラ ー 音 楽 で 一 般 的 に 行 わ れ て い る 作 曲 法 の 基 礎 が 成 立 し つ つ あ っ た ということが分かります。ということは、(もちろん歴史をブッた切って「はい、ここからここまでが何とか時代! などと一概に言うことは不毛ですが)バッハ以前のヨーロッパ音楽というのは、こんにちのポピュラー音楽(というか、 『新版 古楽のすすめ』の文脈に沿うなら、所謂 ク ラ シ ッ ク 音 楽 )とは繋がりの薄いそれと言うことができる、つまり、古楽ということができる。という理解で良いのでしょうか(笑)