音楽プロデューサーの佐久間正英が、自身のブログにちょっと弱気なエントリーを投稿し、話題になっています。
ちょっと長くなりますが、かいつまんで引用します。
「ここしばらく「そろそろ音楽を止める潮時かな」と漠然と考えている。」
「ここで言う音楽とは自分の職業としての音楽のこと。」
「例えば10年ほど前まで一枚のアルバムを作るには1200~1500万の予算がかかった。今の世代の方からは「バブル!」と一蹴されるかも知れないがそれは違う。ちゃんと真面目に音楽を作るにはそういう金額がかかるのだ。」
「この予算が抑えられると言うことは何かを削る事にしかならない。そしてその”何か”とは無駄を押さえることギャラやスタジオ代の交渉に留まらず、残念ながら『音楽の質』を落とすことになる。」
「最近興味と楽しみのためにインディーズ(と言ってもほぼ自主制作)のレコーディングのプロデュースをしたりしている。アルバム制作費で言えば例えば60万程だったりする。」
「何枚かやってみて、どれも到底所謂インディーズレベルでは無い良い作品に仕上がっていると思える。予算が1500万でも60万でも僕に出来ること・やるべきことに違いは無いのだから。
「ただ確かに良い作品は作れるが、その”良さ”には限界がある。僕らはもっともっと”良い音楽”を作って行かなければならないと思うからだ。それには60万の予算はあまりに制約が多すぎる。」
「23歳で職業音楽家としてスタートし、27歳でプロデューサーとなり。通算40年近い時間をかけて積み上げてきた録音物制作に関するノウハウがある。が、現在の状況、これからの時代を予想する限りその積み重ねた知識・経験は『伝承しようの無い』モノに過ぎなくなったと思う。」
「もしこのまま、より良い音楽制作に挑めないのなら僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらないと思えてしまう。」
正直、じゃあ、音楽辞めれば? と思いますね。
確かにワタシのようなアマチュアミュージシャンは1,500万円の音質・制作環境を知りません。実際、ワタシが制作している環境はおそらく、50万円にも満たないのではないか? では50万円でないと、本当に良い音楽はできないのでしょうか?
ここには佐久間正英の気付かなかった、2つの区別される問題があると思います。
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(1)音楽 = 楽曲制作ではない
楽曲制作は音楽ですが、音楽は楽曲制作だけではありません。音楽「活動」とあえて表現しますが、音楽をビジネスで続けるのは「楽曲制作」だけではありません。ライブや教育など、様々なかたちで、音楽をビジネスとして続けることができます。もちろん、楽曲制作が好きだから楽曲制作をビジネスにしたいのだけど、ちょっと現状は経済的に難しい、というのであれば、言いたいことがわからなくもないですが。しかし、
(2)良い楽曲とは何か?
という問題がそれでも残ります。これは永遠の課題だと思いますが、少なくとも、「良い楽曲」が最終的にはほとんど個人の趣味であるならば、1,500万円で制作されたも50万円も個人の趣味に解消されてしまうのでは? それは1,500万円で仕上げた楽曲の方が、良い作家を起用し、良いプレイヤーを起用し、良いレコーディング・ミックス・マスタリングができるでしょう。しかし、そうして出来た楽曲が「絶対に良い楽曲」など、言えないわけです。そうしてできた楽曲よりも、どこの馬の骨が作ったか知らん SoundCloud にアップされた打込みトラックの方が良い! と感じてしまうこともあるわけです。もちろん、同じ楽曲を 1,500万円で作るのと、50万円で作るのでは、雲泥の差が生まれるでしょう。それでも。「泥」のような音楽が好みだという人はいっぱいいます。
そもそも、音楽 = 楽曲というステレオタイプなイメージができているところが、彼の音楽への認識不足の理由ではないでしょうか? もっと音楽を幅広く捉えようとすれば、決して、「音楽家が音楽を諦める時」などという言葉は出てこないはずです。