Twitter で、ボーカロイドの或る楽曲を「神調教だ」と紹介したところ、「どこが神調教か釈然としない」的な反応(もっとやらわかい言い方ですが(笑))をいただいたので、それについてちょろっと返信しましたのを、補足も含めて転載します。
あくまで、ボーカロイド(初音ミク V3)を使い始めて4ヶ月程度、要するにボカロの楽曲をちゃんと聴き始めたのも4ヶ月のド素人による、ボーカロイドの声を調整するいわゆる「調教」、この「調教」という言い方がわたしは非常に嫌いでして、以下、「調声」としますが、これに対する一意見としてお読みください。
以下、転載。
××さん。
長くなったので、「神調教」について、下のようにまとめました。時間があるときにでも読んでください。
ボーカロイド〔以下、ボカロ〕の楽曲への感想として、「神調教」という言い方があります。しかし、この「神調教」という言葉で以って指されている事態は様々です。そこで、ボーカロイドにおける「調教」とは何か、という点について、わたしがボカロを3ヶ月程度使用した経験を根拠にして、整理しながら、「神調教」という言い方で指し示されている事態の一端を、明らかにしていきたい。と思ってます。明らかにできればいいですね! たぶん長くなります。
本題に入る前に、わたしは「調教」という言い方が嫌いですので、代わりに「調声」という言い方を以下では使用します。これに従い、「神調教」の代わりに「神調声」という言い方を使用します。
さて、調声ですが、まず、これには2つの「手順的」段階があります。1つ目が「ボカロエディター〔以下、エディタ〕内での作業」、2つ目が「エディタ外」での作業です。ボカロエディタ内とボカロエディタ外はどのように違うのか、簡単に人間の喩えで説明すると、歌手の声を録音する作業ががボカロにおける「エディタ内」、録音したものを(エコー、リバーブ、ピッチ修正などなどで)加工する作業が、ボカロにおける「エディタ外」です。
続いて、調声には「目的的」と言える2つの基準があります。1つ目が「人間らしい」、2つ目が「人間らしくない」という基準です。
これら、「手順的段階」と、「目的的基準」という2つを軸として(ちょうどデカルト座標のように)、調声の良し悪し、そして神調声という感想がでてくる、とわたしは思っています。言い換えれば、調声には次の4パターンがあるのではないでしょうか。すなわち、「エディタ内で人間らしい」「エディタ内で人間らしくない」「エディタ外で人間らしく」「エディタ外で人間らしくない」、です。
ここで、「人間らしくない」について補足します。「人間らしくない」とは、言い換えれば、「人間の地声では真似できない」ということになるでしょう。最も普及している例を2つ挙げるならば、「(いわゆる)ケロ声」および「早口」でしょう。しかしこれだけではなく、人間には出せない音程差、(ひとりの人間ではおよそ不可能な)声質の切り替えも、「人間らしくない」に加えることができます。
エディタ内、エディタ外のそれぞれの作業の具体例はさらに細かくなるので省略するとして、調声には、以上「2つの軸」があるということがお分かりいただけたらここまででは充分です。そこで、「2つの軸」に関連させると、「ボカロなのに」と「ボカロだから」、「スゴい」でどのような楽曲を指しているかが、分かってくるはずです。
「目的的基準」において「人間らしさ」を追求した楽曲は、「ボカロなのに」という感想が与えられるでしょう。「人間らしさ」の追求は非常に細かい作業であり、その点で「神調声」という判断が下されていると思います(ただ、この「人間らしい」は、非ボカロリスナーから、「人間が歌った方が合理的」という反論が提出されます)。対して、「人間らしくない」を追求した楽曲は、「ボカロだから」という感想が与えられます。より人間が真似できない調声を行った楽曲が、「神調声」というわけです。
ここで議論が起こります。人間の歌声を録音したものも、加工すれば、「人間らしくない」歌声になるので、「ボカロだから」というのは過大な評価なのではないか、と反論されるわけです。
これはもっともな反論でしょう。そもそも、ボカロ自体が、人間の声を録音して加工したものです。
しかし、この反論には見落としている点があります。それが、「エディタ内/外」の軸です。「人間の声を録音して加工すれば、ボカロっぽくなる」というのは、「エディタ外」の作業です。対して、「人間の声を録音する」というのは、ボカロにおける「エディタ内」の作業になります。人間の声を録音する場合に、「人間らしくない」を追求するのは、非常に難しいですし、語義上では不可能でしょう。対して、ボカロの場合は、「エディタ内」で「人間らしくない」を追求することが可能です。
ところで、「エディタ内」の時点で「人間らしくない」を追求する楽曲例は、わたしの知っている限り、あまりありません。あっても「早口」や、ボカロの声を楽器のパートに見たてたものです。そこで、わたしの「神調声」だと感想した http://nico.ms/sm1707858 ですが、これは、「人間らしくない」歌い方が特徴で、しかもその「人間らしくなさ」は主に「エディタ内」で調声されています(詳しい分析は割愛します。いま少し例示すれば、だいたい220Hrz から 3250 Hrz くらいまで一気に1/32くらいのノートで上げ下げしたりすると、ツンのめるようなひゃんひゃんいった効果を得られます、など。詳しい分析をご希望の場合は、1週間ください)。しかも、単に「早口」というだけではなく、音程の高低差があり(これもデタラメではなく、調性的に処理されています)、かつ歌詞が聴きやすい。しかもこれ、ミクちゃんしか使っていない。しかも2つ前のモデル、しかも7年前(ミクちゃんが出た当時、いまよりエディタ内での作業が難しい)。
これだけ揃ったらもう神調声でしょ。
というわけです。長くなりましたが、こんな感じです。
以上、転載です。
以下、補足です。
先ず、「神調声」と言われる楽曲について、上記のものも合わせ、わたしが見聞きした範囲でですが、紹介すると、
・初音ミク / Melancholoid / haruna808
・【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル】
・[Super Cute! Hatsune Miku] Viva Happy “ビバハピ” [Official MV]: Mitchie M
こうやって並べると、3曲中2曲が Mitchie M のものなんですが(笑)、上記の通り、『Melancholoid 』は「エディタ内で人間らしくない」で、『Freely Tomorrow』なんかは、「エディタ外で人間らしくない」的。
で、『ビバハピ』なんですけど、 いま改めて聴いてみると、4つの基準(「エディタ内で人間らしい」「エディタ内で人間らしくない」「エディタ外で人間らしく」「エディタ外で人間らしくない」)がふんだんに盛り込まれている。
もちろん、他の2曲も、少なからず、4つの基準のうち、どれかが秀でている、というのはあるかもしれませんが、4つの基準のどれもがあてはまる(ちょっと伝わり難い文章ですみません)。
と考えると、神調声というのは、4つの基準のバランスで、レーダーチャート的なものとして表すことが出来て、そのバランスの妙によって決められている。どのバランスの妙が神調声と呼べるか、最後の最後のところでは、けっこう個人の主観が左右する。
てところではないでしょうか。
実際に分析して、レーダーチャートにすれば面白いかもしれませんが、自分ではそこまで力量がありません、すみません!
コメント
なるほど、神調教と言うのは「人間らしくない」を追求しているものなのですね
自分の個人的な考え方、また最近のニコニコ動画内では、神調教と言うのは、「どれだけ人の声に近い声を作れるか」というものでした
最初に神調教ではないとコメントした人は、「ボーカロイドにしか出せない声」ではなく、「より人間らしい声」を神調教だと思われていたのだと思います
調教という言葉が世間一般では使うのが宜しくない言葉だからといって、
調教を調声・調整と言い換えると大事な情報が欠落すると思います。
調声・調整で説明されることはだいたい、サウンドエンジニアリング的に凄いね、の一言で済むし、
実際、人の歌い方をテンプレートにしていたり、技術的に優れたものに神調教タグ付きやすいから、
間違ってはいないと思いますが、同時に何かが足りないようにも感じます。
主観的な感想になりますがそれは、ただのシンセサイザーに対して初音ミクという生き物がいるような感覚ではないでしょうか。
それが人間的なものなのか、電子の妖精的なものなのかは、シンセサイザーを扱う人によって違うのでしょうが、
少なくとも、かけた手間の分だけ製作者の欲望や願望が込められてます。
そして、調教という言葉は発売初期から今まで使われ続け、代替案として調声は現れては直ぐに消えていっています。
それは、体面を取り繕う言葉であって、本質を表していないからかもしれません。
こんにちは、通りすがりの聞き専ボカ廃です。
「2つの軸」に関して、エディタ内外を分ける必要ってあるの?
単にプロセスの違いで、細かく言えば十人十色の調声方法があるんじゃないの?
とも思いましたが、最後の結論を読んで納得しました。
確かにMelancholoidはエディタ内で人間らしくないを追及していて、そうした曲は僕もちょっと思い当りません。
自分は聞いてすぐ神調声と感じましたが、こういう視点で見るのも面白いですね。
一方で、自分は神調教と聞くと、whooさん「トラベリングムード」、ジミーサムP「from Y to Y」、keenoさん「glow」、
あとミクじゃありませんがライブP「マイリスダメー!」、かごめP「アニヴァーサリィプレイス」
辺りが思い浮かびます。
(どうしても人間らしさを追求した曲に目が向いちゃいますねw
人間らしくないを追求した神調声ではkzさんやササクレPが挙がるかな?)
Mitchie Mさんも間違いなく神調声なんですが、なんだろう、
Mitchie Mさんが登場した2011年より遥か以前から「神調教」という言葉は存在していたので、
Mitchie Mさんはそれらを軽く超越した次元の調声だったので、
自分にとっては「神調声」を超えた「魔法」の領域と思ってます。(「マジ魔法」ってねw)
閑話休題、上記のラインナップを見たとき、自分は「音楽性への貢献」「ボカロの限界の超越」という2つの視点が重要と感じますね。