ボーカロイドは心がないから感動できない?: ボカロの歌と人間の歌の決定的な違い

「ボーカロイドは機械なので心がなく, 人を感動させることができない」という考え方への反応が, Twitter などでほのかに賑わっています.

この考え方への反応はおおむね否定的です. ボーカロイドは心がないから人を感動させられないというのは誤りだ, ということです. わたしもこの立場, つまり, ボーカロイドは人を感動させられる, という立場には賛成です. この記事では, ボーカロイドは人を感動させることができない, という考え方に対する反対の立場を整理したいと思います. そして可能かもしれない擁護の立場もまとめることにします. また, 「ボーカロイドは心がない」という事実から出発した, ボーカロイドと人間の歌の決定的な違いについても, 考えてみることにします.

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ボーカロイドは人を感動させることができる!

現に, ボーカロイドを使用した楽曲に対して感動を経験したリスナーはいるでしょう. こうした事実から, ボーカロイドは人を感動させることができない, というのは, 誤りであるということができます.

また, 楽器に心という機能を認めることはできませんが, その楽器のみの音楽=器楽に感動することもあります. さらには, 音楽に限らず, 心がないと認められる事態に対して感動する経験は多々思いつきます. ですので, ボカロは心がないから人を感動させることはできない, という考え方は誤りである. 先に紹介した Toggeter で, 多くの人はこのように主張しているように思えます.

ただ, このような主張, つまり,「ボーカロイドが心を持っていないから感動することはできない, というのなら, 他の心を持っていない (と仮定できる) 事態についても感動できないと言えるはずだ, しかし, そんなことはない」という主張をする際に, 見落としてはいけない点が 2 つあると思います. それは, 1 つ目に, ボーカロイドがソフトウェアで, ソフトウェアは目の前に現れるような実体ではない, という点です. 2 つ目に, ボーカロイドは言葉を表現することができる, という点です.

ボーカロイドは目の前に現れない

1 つ目の点からみていきましょう. 教科書的に考えて, ソフトウェアはハードウェアに対して実体的な性質がうすいモノです. そしてボーカロイドは, ソフトウェアである. 心はないけど感動することができる例として, ピアノでの演奏や, 美しい自然風景などが挙げられますが, ピアノや自然風景などは, 目の前に現れている実体です.

単に「心を持たない」対象といっても, その分類はさまざまです. ですので, ボーカロイドに心はないというなら, ピアノや美しい夕日にも心はない, という意見は, けっこう慎重に検討しなければなりません. ボーカロイドにはボーカロイド特有の「心のなさ」があって, それが感動しにくい要因である, という主張も, もしかして可能かもしれません (わたしは棄却しますが).

さらに, ピアノをはじめとした楽器の「演奏」となると, すごく微妙なところです. 演奏は, 楽器・演奏・実際の音・(実際の音とは区別された) 音楽などへと, さらに複数の要素へ分けることができるからです. こうした問題は, 音楽特有かもしれません.

このような区別があるにせよ, 心がない対象に感動するかどうかについて, その対象が実体的か・実体性が弱いかという区別があるにせよ, そして, ボーカロイドはソフトウェアで実体性が薄いから自然風景などからは区別されるにせよ, それでも, 例えば, ソフトウェアのみで作曲された楽曲というのはもちろん存在して, それに感動することはあります. ですので, ボーカロイドは心がないからそれへ感動することができない, というのは, 無理のある主張でしょう.

ところで, これは本筋から外れますが, よく, 脳と心の関係は, ハードウェア (=脳) とソフトウェア (=心) の関係に喩えられます. この喩えだと, ボーカロイドは, 未発達であるにせよ, 心そのものなのかもしれませんね. いや, この話はやめましょう. あまりにも雑すぎますので.

ボーカロイドは言葉を表現する

実体のないソフトウェアのみで構成された音楽へ感動することはありますので, ボーカロイドに感動することは当然のことのように思えますが, それでも, ここで立ち止まらなければならない問題があります. それは, ボーカロイドは, ソフトシンセなどと違い, 言葉を表現する, という点です. ボーカロイドは, 心のないまま, 言葉を歌で表現します. 発信の主体が心を持たない言葉に, わたしたちは感動することができるのか, という問題が出てきますが…

これもまた興味深く, たとえば本という対象は心を持ちませんが, わたしたちは本を読んで感動します. しかし本は音楽ではありません. では本の読み上げを, 音声合成ソフトで自動化した場合はどうなのか…

ここまでくると, 言葉をもつ音楽と, 音声化された言葉の違い, といった, かなり面倒臭い問題になってきますので, さらにそこへボーカロイド, ていうか, 歌声合成技術が絡んでくると, さらにさらに面倒臭くなるので, ここでは深く掘り下げないことにしましょう.

ボーカロイドは人を感動させることができない!

「ボーカロイドには心はない, しかし, ボーカロイドを使用した音楽に感動することはできる」, この考え方には, ほぼほぼ賛成します.

完全に賛成ではないのは, ものすんごくどうでもいい・下らない理由ですが. もし,「心がないものへは感動しない」のが真であるなら, 心がないものへの感動という経験は, 感動ではない別の経験だと言うことができるかもしれないからです.

表現の発信者が心を有していないと受け手は感動しないので, 心を有していない発信者へ受け手が感動したという経験は, 本当の意味での感動ではない. ボカロ曲で感動したという場合の感動は偽の感動で, 美しい風景に感動したという場合の感動も同様に偽の感動であって, 本当の感動は, 発信者に心がある場合にのみ成立する.

こういった考え方も, なくはないかもしれません.個人的には, 馬鹿げた考え方だとは思います. けれど, 感動とは何か, 感動の本質, みたいな問題は重要かもしれません.

ボーカロイドと人間, その歌の決定的な違い

さて, 感動できるか/感動できないか, という対立を無視して,「心がない」というのは, すごく重要です. 少し話が戻るかもしれませんが. というのも,「心がない」というのが, やはり, (繰り返しになりますが, 感動できるか/感動できないかという対立からは別の角度で) 人間の歌, ボーカロイドの歌の, 決定的な違いをつくっていると言えるからです.

ボーカロイドの歌と, 人間の歌の決定的な違い. それは, 歌詞の内容を, 言葉の意味を理解できているかどうか, この点にあります.

人間の場合も, 歌詞の内容を理解しないまま歌うこともあります. けど, 理解できる可能性はあります. もちろん, ここで, 歌詞の内容を理解する, 意味を理解するとは何か, といった問題が思い浮かびます. けど, この疑問を掘り下げると,「ボーカロイドの歌」というテーマから, 少し離れてしまうので, ここでは無視しよう.

さて, 一方で, ボーカロイドというアプリケーションは, 言葉の意味を理解しません. 先に述べた通り, これが, 人間が歌詞の内容を理解して歌うこととの, 決定的な差です. ボカロの歌と, 人間の歌の決定的な違いは, 歌詞の意味を理解できるかどうか, この点にあると思います.

もう一度, 感動を

ここでもう一度「感動」という視点を導入すると, 人間の歌手が, 歌詞の内容を理解できていなくても, リスナーが感動するという事態は充分想定できます. また, 歌詞の内容を理解することと, 心を込めて歌うこととは, 区別することができます.

歌詞を表現しない楽器はどうでしょうか. 楽器は, 同様に, 楽曲の中のある音の意味を理解することはありません. しかしそれでも, わたしたちは, 楽器の演奏に, 感動することができます. こうした事態に対しては, 楽曲の中にある音の意味, 楽曲の意味, 音楽の意味といった, 音楽「と」意味の問題が提出されます.

音楽「と」意味についての興味深い考察は, 東条 ・平田『音楽・数学・言語』(近代科学社, 2017) に非常によくまとめられています. 音楽における意味とは何か, この点については, また別の機会にゆずるとしましょう.

ボーカロイドは言葉を表現する. だから心がある

逆の考え方もあるかもしれません. つまり, 言葉を表現できるのは, 心をもっている者のみである. だからボーカロイドは, ユーザーによって心を持たされているのだ, と. ボーカロイドという, 心を持たないソフトウェアは, ユーザーが歌詞を打ち込むことで, 心を持つのだ, と.

この考え方は, 言葉を理解するという視点がすっぽり抜け落ちてしまっていますが (笑) それは一旦, よいとして…

極端でかつロマンチックな考え方ですが, さきに脳と心の関係はハードウェアとソフトウェアに喩えられて, ソフトウェアは (不完全であるにせよ) 心そのものかもしれない, と述べましたけれども, もしかして, アリな考え方かもしれませんね.

ボーカロイドに心はない? いいえ, もしかして, 言葉という特殊性をもつ歌という音楽技術を通じて, ボーカロイドには心が込められているのかもしれません.


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