2011年4月24日、原宿ラフォーレミュージアムにて、『ヘンリー・ガーター展』を鑑賞した。当展覧会は、ヘンリー・ガーター『非現実の王国』の原画展である。各作品に展示番号が付いていなかったため、以下では、全体的な展覧会への感想を述べる。
色彩(=淡い、画家にはこのように見ていた。非現実的)、遠近法の欠陥。
性の超越。
暴力・非暴力時に〈のみ〉、表情の発露。
血だけが現実的な色をしている。
下手クソ(=写実性のない)クセに、詳細に描こうとしている辺りに、画家の執念がうかがえる。
稀に現れるコラージュは、画家の絵画への諦めであり、同時に憧憬である。
色彩感覚における通俗的統一の欠陥。それが個性。
暴力描写への執着。
ヴィヴィアン・ガールズは皆、同じ表情をしている。画家にとって顔は、表現における重要な要素ではないのかもしれない。
この画家には、進歩がない。
1枚の紙の両面に、異なる絵画が描かれている(!)。
この画家には、通俗性がない。
雲の描写の存在感。圧倒的な透明性。
素材を写実し、コラージュ的に配置。(このことにより)遠近感が欠如しているのか?
この疑問は半分正解である(つまり、画家は素材を写実しているのではなく、トレースしている)。
作風の変化は素材の変化である。
(樹の少ない楽園のような)森林、雲、花―――、楽園はこの3つにより構成されている。
(海のモチーフは少ない)
淡い質感は、水彩絵の具が最も手に入り易く、しかもそれを長期間使うことが目的、だったのだろうか。
画家は、現代風にいえば、ハンディキャップを負ったロリコン・クソオタである。
ラフォーレに見に来ている客の8割は、自称オシャレ女子だが、残念ながら彼女たちは実際に画家がそこにいると、目を合わすこともなく遠くからすれ違うだけだろう。