ジオシティーズが… 終わってしまう… このままでは… 高校の頃にしたためていた音楽レビューが消えてしまう… なんとか救出しないと… とあたふたしていたのですが, パソコンを検索したら出てきました! ということで, せっかく発見したので,「さよなら, ジオシティーズ」と題して, 過去に書いた音楽レビューをこのサイトへ転載することにしました. 4 回目は, スーパーカー『スリーアウトチェンジ』レビュー. 文章はほぼそのまま!
ではどうぞ…!
スーパーカー『スリーアウトチェンジ』
青春は、世の中の諸事情がそれなりに見え始め、その情報に左右されながら、
人間的に成長していく時期だろう。僕はそう思う。
そして、その成長過程において生まれる、薄いメランコリー色で着色された、
喜び、悲しみ、その他諸々の感情、思想に、青春の特有がみられる。
青春においての熱血や汗臭さという(一昔前の)ものは、その結果であり、
土台にあるものは常に薄いメランコリー色だろう。
そして、その色は、非常に生臭い。
見え始めた世の中、変わっていく自分に上手く対応しきれずに、
思わず等身大の自分を表面に出してしまう。
その表面に出たものは、まさしく“生”そのものだ。
薄いメランコリー色で着色された、生臭い等身大の自分自身の“生”、そのまんまを、
轟音バンドサウンドで音楽(ロック)へと変換していく、しかし、それだけではただの青春ギターロックだ。
このアルバムが、ただじゃない青春ギターロックアルバムである理由とは?
JUNJIの世の中を少し斜め上から見下した歌詞、
たまに垣間見る、MIKIちゃんの恐ろしいほどのピュア性、
まさにスーパーカーのエンジンとも言える、コーダイの打ち出すリズム、
それもあるだろう。
しかし、決定的なのは、冒頭の長ったらしい僕の青春持論を、
「だから何?」
と流してしまうナカコーの声だ。
はじめは絶対にとっつきにくい、僕もそうだった、
そして、この声のせいで、このアルバムが倦怠、退屈という言葉なしで語られることはまずない。
しかし、聴き込むうちに、身体の、余計ででうざったいものがだんだんと抜けていき、
不思議な素直な気持ちになれる。
確かに青春は悩ましいだろうし、内面のどこかにいつも憂鬱を抱いているだろう。
それはそうだけど、それでどうなの、
そんなスタンスでもって発せられているかのようなナカコーの声は、
他のどんな一生懸命に音を鳴らしている青春ギターロックバンドも、
比べることができない。
聴いたことがある人ならわかるだろうが、だって無理だろ(笑)?
比べようがないしね。
悔しいけど、これはナカコーにしか持てないものなのだから。
どんな青春を鳴らす音楽より、スーパーカーがいちばん初めに出して、
しかも、これしか青春を鳴らさなかったのに、
このアルバムが、これまでも、きっとこれから先も、
ずっと、いちばんの青春のアルバムである理由は、そこにある。
このアルバムを、今十代の人たち、全員に聴いてほしい。
このアルバムを聴かずして十代を過ごしてしまった人は、
十代の半分を一体わけもわからずに過ごしてしまった、と言っても、過言ではないと僕は思う。
そして、感じてほしい。
僕たちは、確かにここにいる。
バカみたいな青空の下で、汚れた空気を吸いながらも、
ちゃんと生きている。