以下は、2012年に小さな音楽理論のサークルである Music Theory Workshop Japan で発表した「音楽とは何かについての試論」の原稿を、一部ブログ用に修正したものです。
ずーっとこ本サイトに載せようと思っていたのですが、なかなか気が進まないまま、2年経とうとしていて、その間に「おとな10歳記念パーティー」なんかをして、その中でけっこう踏み込んだことも言ってしまっていて。
「存在論的な音楽」とか、そういう。そういうののほとんど始まりの原稿なんですが、それで、その2年間、いろいろと考え方も変わったり・変わらなかったり、この原稿もいろいろ穴があるので、修正しよう修正しようと思いながら、ここに来て、「もう、このまま載せちゃっていいかなあ」と、そう思えるようになったので、「ブログ・エントリー」として載せることにしました。いや、pdf としてはずーっと公開してたんですけど(笑)
なかなか、こう、目に見えて検索結果の分かるブログ・エントリーとして公開するのは、けっこう小っ恥ずかしい、というのがあるんですが。
また、昨年、DJ イベント Culture Milk で発表しました「音楽を哲学する ―音楽の「定義」を巡る試論―」についても、同じ形式で、同じ事情で、引き続き「ブログ・エントリー」として掲載します。
音楽とは何かについての試論※1 目次
1.はじめに
(1)本論の目的
(2)音楽の定義付け
(3)「定義付け」の脆弱さ
(4)「何か」を問う方法
2.「音楽の現象学」———セルジュ・チェリビダッケ『音楽の現象学』を基に
(1)現象学について
(2)音楽と現象学
(3)「響き」の現象学
(4)「音楽とは何か」という問いへの一定の結論付けの試み
3.課題
(1)音楽の倫理?
(2)音楽についての諸問題と、これら以外の諸問題の区分
(3)循環論法の是非
※1 本稿は、2012年5月12日に開催された Music Theory Workshop Japan の第1回目の発表のために書き下ろされた。なお、執筆者は音楽を専攻した経験はなく、それゆえ本稿は形式からも内容からも学術的な文章からほど遠いことを最初にお断りしておく。