20 世紀の音楽思想 (5) 音楽とマルクス主義: アドルノ、ブロッホ

音楽と社会、そして哲学とはどのように関わっているのでしょうか? 今回の「音楽の哲学史」シリーズではこの問いを考えるため、マルクス主義的アプローチにを取り上げます。特に、テオドール・W・アドルノ(Theodor W. Adorno)とエルンスト・ブロッホ(Ernst Bloch)の思想に焦点を当てて、その詳細を見ていきましょう。

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アドルノの音楽哲学

テオドール・W・アドルノは、西洋の音楽哲学において最も重要な哲学者の一人です。哲学者であり社会学者でもある彼は、1958年にフランクフルト社会研究所の所長となりました。彼の著作は、しばしば高度に技術的な音楽学的観察を含むため難解ですが、それは彼がアルバン・ベルク(Arnold Schoenberg の弟子)に師事した訓練された音楽家であり、作曲家でもあったからです。

アドルノの思想の中心的テーマは、芸術作品の自律性とその社会的機能との間の緊張関係にあります。フランクフルト学派の一員として、彼の視点は広範なマルクス主義的視点を持ち、芸術を社会の産物として捉えつつ、それが社会批判の手段となる可能性にも関心を寄せています。

しかし、アドルノは音楽を批判的な道具として支持する一方で、政治的に関与する音楽を擁護するわけではありません。音楽の批判的機能は、社会の矛盾が芸術作品の形式的特徴に具現化されることで達成されると考えています。彼の言葉を借りれば、「すべての可能な芸術において、社会批判は形式のレベルまで引き上げられ、明示的な社会的内容を消し去る」のです。

アドルノはこの枠組みを基にして、シェーンベルク(Arnold Schoenberg)とストラヴィンスキー(Igor Stravinsky)に対する評価を展開しました。彼の『新・音楽の哲学』(1949)では、シェーンベルクの無調音楽を支持し、これは調性を拒否することで社会の真実を反映していると考えました。一方、ストラヴィンスキーの音楽は過去から引き出された構造を持ち、巧妙ではあるが真実ではないと見なしました。

アドルノの人気音楽に対する厳しい見解も、この態度に基づいています。彼は『音楽の社会学序説』(1962年)で「ジャズ」や大衆音楽に対する批判を展開し、それが標準化され、リスナーのために「聞く」音楽であると論じました。標準化の結果、大衆音楽は努力を必要とせず、文化産業によって消費される商品となるのです。

エルンスト・ブロッホの音楽哲学

エルンスト・ブロッホは、アドルノとは異なるマルクス主義的アプローチをとりました。彼の思想の中心には、ユートピアと希望の概念があります。「ユートピア」とは人類が目指す可能性のある未来の状態を指し、「希望」はそのユートピア的状態への努力の過程を意味します。ブロッホにとって、芸術は代替現実のビジョンを創造し、これがユートピア的な潜在力を持つと考えました。

ブロッホは『ユートピアの精神』(1918年)で音楽に一章を割き、音楽を内面的なユートピア次元と結びつけました。彼は音楽を自己認識と理解への人類の努力と捉え、西洋音楽の伝統におけるユートピア的可能性の展開を描きました。彼の見解では、西洋音楽はダンスや室内楽から始まり、バッハやモーツァルトの音楽、特にフーガを経て、ベートーヴェンとブルックナーの交響曲で頂点に達します。

ブロッホは、音楽が人間の自己認識の進展を実現する過程を「カーペット」(Teppiche)と呼ばれる3つの段階に分けました。彼はギリシャやエジプトの音楽を内面性よりも外面性や視覚性に焦点を当てているため、あまり関心を持ちませんでした。

まとめ

アドルノとブロッホは、異なる視点から音楽と社会の関係を探求しました。アドルノは、音楽が社会の矛盾を形式的に表現することで批判的な力を持つと考え、ブロッホは、音楽がユートピア的な未来を目指す希望の象徴としての役割を果たすと考えました。これらの思想は、現代の音楽思想において重要な位置を占めており、音楽と社会の関係を理解する上で欠かせない視点を提供しています。

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