ジオシティーズが… 終わってしまう… このままでは… 高校の頃にしたためていた音楽レビューが消えてしまう… なんとか救出しないと… とあたふたしていたのですが, パソコンを検索したら出てきました! ということで, せっかく発見したので,「さよなら, ジオシティーズ」と題して, 過去に書いた音楽レビューをこのサイトへ転載することにしました. 7 回目は, 浜崎あゆみ『Duty』レビュー. 文章はほぼそのまま!
ではどうぞ…!
浜崎あゆみ『Duty』
浜崎あゆみの3rd。
「ヒョウあゆ」だ。
ジャケットを見ると、本当に人形みたいだ。
アイデンティティがなく、大量生産され、全部が美しい顔立ちで、たくさんの人に愛される。
そして、その裏で、たくさんの人に捨てられる。
人形は、一般的に、そういうものではないのだろうか。
このジャケットのあゆは、まさしくだ。
しかし、そのような、ある意味では商業主義の代表者のような上っ面の裏で、
中身の作品(楽曲含め、その詩、そして歌詞カード)は、前作以上に、重く、暗い。
その暗さは、もう進化としか言いようがない。
言葉の一つ一つが、心の、恥ずかしくて隠している場所に直にぶち当たってきて、とても痛い。
聴いてて、とても不快だ(ここではホメ言葉だが)。
何より、表題曲の「Duty」に至っては、自分の近い将来の地位を、自らの言葉で、皮肉に歌い上げている。
彼女は、何かわけのわからないレトリックを使って、聴き手に「上手い」と言わすような詞は書かない。
全てが直球だ。
こんな、聴いててしんどい音楽が、10代に愛され、300万枚ものセールスを上げる、凄いよなぁ。
商業主義?
けっきょくは消費の対象?
そうかもしれない、が、あゆの力は、
インディーズでハイスタの真似事の熱いロックンロールしか奏でれんようなバンドより、
はるかに強く、そして大切なものだ。
業界、そして、それを取り巻く周囲の環境のいたるところで、このような物議は交わされている。
答えは出ないだろう。それでもいいし、別にどうだっていい。
僕は、あゆを信じている。
あゆは、答えはではないだろう。
むしろ、さらに迷いの奥に突き落とすくらいだ。
だから、僕は、あゆを信じるのだ。