初音ミク×九鬼周造のコラボレーションが切り拓く, 日本語ラップの新しい地平

制作したのは昨年の 8 月ですが, 歌声合成ソフト・ボーカロイド, 初音ミクを使用した楽曲を soundcloud で公開しました. また同時に, そのピアノ・バージョンも公開しました. それぞれ,

です.

「現象学的還元 ft. 初音ミク (Lyrics by 九鬼周造)」では, 哲学者・九鬼周造 (1988 – 1941)の詩である「現象学的還元」を, 初音ミクを使用してラップ化しました.

今回はラップの伴奏 = インストゥルメンタルとして, 今回は, 初音ミクを使用してボイス・パーカッションを再現しました.

「現象学的還元 (Piano Ver.)」は, 「現象学的還元 ft. 初音ミク (Lyrics by 九鬼周造)」MIDI データとして書き出したあと, ピアノ音源に差し替えたものです.

さて, なぜ九鬼周造の歌詞を初音ミクにラップさせ, さらに MIDI で書き出してピアノ音源に差し替えたのか. (1) ラップ, (2) 九鬼周造, (3) 歌声合成ソフトの 3 点から説明してみたいと思います.

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(1) ラップ

今回公開した 2 曲は, いままで以上に日本語ラップを音楽的に捉えようとする試みです.

ラップは, ヒップホップ文化の音楽表現のうちの 1 つで, リズムに乗せて・ライミングしながら 喋る歌唱法です. その起源は諸説ありますが, ここではヒップホップとラップが密接な関係にあるという立場をとり, 1970 年代中盤に, アフリカ系アメリカ人によってアメリカで誕生したとすることにします. 日本では 1980 年代頃から文化輸入され, その後, 何度かのブームが起こっています. 昨今の日本では, 2015 年に始まったテレビ朝日系テレビ番組『フリースタイルダンジョン』の影響により, ヒッ プホップのインストゥルメンタルに乗せて即興でラップするフリースタイル・ラップの流行も, 記憶に新しいと言えるでしょう.

ラップは世界的にも, 日本でも流行している音楽スタイルですが, 特に日本語でのラップ = 日本語ラップの音楽的な分析はあまりされていません. 特に日本語で読める文献に関しては, ラップの歴史 や, 歌詞 (特にライミング) の解説, 社会学的な分析などはありますが, たとえば『ラップという現象』 [1] の巻末付録にあるような, 記譜による音楽的な分析の例はあまりみられません. このことは教則本にして同様で, たとえば「初めてのラップ練習帳」といったようなタイトルの教則本であっても, フロウダイヤグラム [2] が使用されているのがせいぜいで, いわゆるポピュラー音楽の「リズム譜」といったもの すら掲載されるのは, この楽曲を制作した時点ではまれでした (ラップを取り入れたロックバンドのバンドスコアには, ラップの 記譜が試みられているものもあります[3]).

これはラップが「喋る」歌唱法であって,「喋り」を記譜するのは困難か, あるいはあまり意味がないかといった考えに基づいているからかもしれません. 特に英語のラップの場合, しばしば日本語・ 英語教育論で言われてるように, 英語は言語のアクセントが強弱アクセント [4] なので, 音程の抑揚にとぼしく, 記譜するのが難しいのかもしれません. 確かにそういった面もありますが, たとえば, 優れたスピーチは音楽的にも優れているとし, 記譜によって分析されている例があって, たとえばキン グ牧師やマルコム X の演説が挙げられます[5]

また, 今回, 制作したのは日本語によるラップで, 日本語は高低アクセント [4] なので, 英語に比べてよりメロディーらしく, 日本語の発音をしっかりするラップ [6] であれば, 記譜することは可能だと考えられます.

以上のように, ラップは, 現在において見過ごすことのできない音楽ですが, 特に日本ではあまり音楽的には捉えらてきませんでした. しかし, ラップを音楽的に捉えることのできる可能性は充分にあると言えます. ラップをいままで以上に音楽的に楽しむためには, ラップを楽譜化することは決して無意味ではないでしょう. また, ラップがこれから, かつてのジャズのように発展していくためには, 楽譜化は必要であるとも考えられます.

(2)九鬼周造

ラップはリズムに乗せて喋る歌唱法で, そこにはライミングが含まれます. 日本語ラップに限らず, そもそも日本の詩には, 西洋の詩のようにライミングの伝統は欠如しているとしばしば指摘されます[7]. 特に日本語による脚韻詩に関しては, その出来・不出来の可否を巡って詩壇では長年の論争のテーマになってきと言われています. もし「日本語の詩に脚韻は適さない」こと が事実であれば, 昨今のフリースタイルラップの流行は, 日本詩の歴史において革命的な出来事だということができるでしょう. というのも, 脚韻に適さない日本語で, 詩人だけでなくごくふつうの人たちがライミングをし, そしてそれが「格好いい」とされているからです.

しかし, 『いきの構造』などで知られる哲学者・九鬼周造は, 日本詩にもライミングの伝統があると主張しました[8]. 九鬼の文芸論である『日本詩の押韻』では, 日本語にも脚韻の歴史はあるとし, 奈良時代にまで遡り実に多くのさまざまな実例が挙げられています.

そして九鬼自身, 脚韻を利用した日本語詩を多く残しています. 今回, ラップ化した「現象学的還元」[9] は, 九鬼による自作の脚韻詩です. 数多く残されている九鬼の脚韻詩 の中から本作を選んだのは, この詩が, 七五調だからです. 現在, 日本語ラップでは, 脚韻を用いることが普及してはいるが, 日本詩の伝統的なリズムである, 七五調を強く意識した作品はあまりみられません. 九鬼の「現象学的還元」のラップ化は, 七五調の日本語詩によるラップを作り上げられるという点で, いままでにない日本語ラップを作り上げる試みでもあります.

(3)歌声合成ソフト

楽曲制作のコンセプトとして「日本語ラップを音楽的にとらえる試み」を設定しておきながら, 既存曲の分析をせず, 九鬼の詩のラップ化を試み, さらに, 自らの声でラップをすることなく, ボーカロイドを使ったのはなぜなのか.

それは, 歌声合成ソフトを利用してラップを作ることで, ラップを MIDI 化することができ, さらに, その MIDI をもとに, 五線譜化することができるからです. つまり, ラップを歌声合成ソフトで作 成することは, MIDI を通じて, ラップを記譜できる間接的な証明になると思われるからです.

ラップを記譜できる可能性を示すことができれば, ラップという音楽表現の新しい楽しみ方を開拓できるでしょう. それは, ラップを, 人の声以外で表現するということです. 今回の「現象学的還元 (Piano Ver.)」は, その試みです. つまり, 歌声合成ソフトによって作成したラップを MIDI ファイルと して書き出し, この MIDI ファイルをピアノの音源へ差し替えることによって, ピアノでラップを演奏することを試みました.

こうした試みを客観的に示すためには, 歌声合成ソフトは最も適したツールだと言えるのではないでしょうか.

今回公開した 2 曲はそれぞれ, 歌声合成ソフトによる九鬼周造の詩のラップ化と, そのピアノ版です. 日本語ラップはこれまで音楽的に評価されることがあまりなかったのですが, 歌声合成ソフトでラップを再現することで, ラップの音楽的特徴を明らかにする可能性が示唆されたと思います. また, 九鬼周造の詩をラップ化することで, 七五調の脚韻詩をラップ化するという, 極めて日本独特のラップを作り上げることができたと思います.

[1] マーク・コステロ, デヴィッド・フォスターウォーレス『ラップという現象』(1998, 白水社)

[2] フロウ・ダイヤグラムについては, ポール・エドワーズ『HOW TO RAP』(2011, P-VINE BOOKS) を参考のこと

[3] たとえば Dragon Ash『バンドスコア ドラゴン アッシュ/Viva La Revolution』(1999, リッ トーミュージック).

[4] たとえば, 平出 昌嗣「発音とリズム : 学校文法を超えて(2)」(千葉大学教育学部研究紀要 66(1), 345-350, 2017-12) など

[5] 久保田 翠「「黒い響き」との微妙な距離](ポピュラー音楽研究 10, 40-57, 2006) は, キング 牧師やマルコム X の演説を記譜している.

[6] ラッパーではない日本人がラップの真似をする際, 音程的な抑揚のないアクセントの日本語で, つまり, まるでお経のようなアクセントで喋るという事例がしばしば見受けられる. これはおそら く, 英語のラップがぱっと聴いた感じ, 音程的な抑揚があまり感じられないので, それを日本語ラッ プを始めた 1980 年代のラッパーたちが真似し, そのまま現在まで受け継がれているからだと筆者 は考えている. 言い換えれば, 高低アクセントの日本語を, 無理やり強弱アクセントへ当てはめてい るのだ. これはこれで, 日本語の新しい表現の 1 つではあるが, ラップという観点から言えば, 高低 アクセントを無理やり強弱アクセントへ当てはめたラップが, 日本語ラップと言えるかどうかは, 議論の余地が残るだろう. 英語話者のラッパーたちは, わざと音程的な抑揚をあまり感じられない ラップをしているのではなく, そもそもふつうに喋る時点で, 日本語に比べれば音程的な抑揚が少ないので, 英語のラップは音程的な抑揚が少ないのである. そうであるなら, 日本語によるラップ は, 日本語話者がふつうに喋るアクセントでビートに乗せてライミングするべきではないだろうか. もちろん, 日本語のアクセントを大事にしているラッパーは存在し, たとえば K-DUB SHINE や SHINGO 西成が挙げられる. 後者は, 関西弁のアクセントでラップをしている.

[7] 木本 玲一『グローバリゼーションと音楽文化: 日本のラップ・ミュージック』(2009, 勁草書房)

[8] 九鬼周造『日本詩の押韻』(1931)

[9] 『九鬼周造全集 別巻』(1982, 岩波書店) 収録

その他の参考文献

  • イアン・コンドリー『日本のヒップホップ』(2009, NTT 出版)
  • 九鬼周造『九鬼周造全集 第三巻』(1981, 岩波書店)
  • 九鬼周造『九鬼周造全集 第四巻』(1981, 岩波書店)
  • ネルソン・ジョージ『ヒップホップアメリカ』(2002, ロッキングオン)

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