日本には古来, 日本以外の地域 (≒ 大陸) から影響を受けいていない歌・舞が存在していました. 一方で, 大陸との交流も当然ありましたので, 日本は古くから, アジア的な音楽をどんどん輸入していました. 平安時代中期以降は, アジア的な音楽をそのまま取り入れるのではなく, 日本の風土にあった音楽へ改変しようとする風潮がみられるようになりました. こうした平安時代における音楽の日本化 = 国風化の動きのことを, 楽制改革と言います. 平安貴族は教養として奏楽や舞楽に励み, 外来楽は分離・統合され唐楽と高麗楽へ 2 分されたうえで楽曲が整理・国風化されました. 現行の舞楽の曲名に, 承和楽, 仁和楽などの平安当時の年号が付けられているのはその証拠だと言えます. 続きを読む
「 日本音楽史 」一覧
古代日本の音楽におけるアジアからの影響
日本は古くから, 外国からの文化的影響を受けてきています. 音楽も例外ではありません.
日本と大陸との交流の最も古い記録は, 57 年, 倭奴国王が後漢の光武帝から金印を授かった, という記述 (『後漢書』) です. もちろん, 稲作や青銅器, 鉄器などの伝来時期を考えれば, それ以前から交流があったとするのが妥当です. ただ, 音楽における大陸から日本への影響は, こうした時期よりもずっと後のことです.
日本における音楽の始まり
過去の音楽はどんなものだったのか, これを確認するためには, 文献や楽譜といった記録が頼りになります. ただ, 過去の音楽を確認するだけではなく, 音楽の始まりを求めようとするのであれば, 文献・楽譜では不十分です. というのも, 音楽は, 文献や楽譜が登場する以前から営まれていたはずだからです. それを証拠づけるのが, 物質的な記録, つまり出土品です. また, 古い習俗も, 音楽の始まりを求めるにあたっての参考になります. このことは, 日本の音楽の始まりを求めることにおいても例外ではありません. 続きを読む
「音楽」という日本語の由来
令和の時代が始まりました. 改元に関係する行事を映像で観たりすると, 自分が日本人であることをいやが応にも意識してしまいます. 日本には, 皇室 (≒ 王室) という制度があって, それは歴史的な長さをもつ文化で, 自分はその日本という国で生まれ育った人間なのだ, と, こう思わされてしまいます. 続きを読む
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