AIと対話していたら、自分自身の創作哲学が見えてきた

Fable 5 、GPT 5.6 が発表されてからここ数日、私は生成AIと対話しながら、さまざまなプロダクトや研究的な作品を制作してきました。

代表的なものを挙げると、

などがあります。

一見すると、これらはまったく異なるテーマを扱っているように見えます。

宇宙物理を音楽へ応用する作品もあれば、哲学史を可視化するプロジェクトもあります。音楽分析もあれば、地域文化を音楽へ変換する試みもあります。制作している本人である私でさえ、当初はそれぞれ別々の興味から生まれた独立したプロジェクトだと考えていました。

しかし、AIとの対話を何度も繰り返す中で、不思議なことが起こりました。

AIは私のアイデアを整理し、言語化し、時には別の角度から問い直してくれます。その対話を重ねていくうちに、「作品」そのものよりも、自分自身の思考の癖や創作方法が少しずつ浮かび上がってきたのです。

その結果、私は一つのことに気が付きました。

私は一貫して「写像(mapping)」という行為に強く惹かれている。

これが、今回の記事で書きたいことです。

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AIは作品を作ったのではなく、私の思考を映し出した

生成AIというと、Sunoのような「曲を作ってくれるAI」や、画像を自動生成してくれるAIを思い浮かべる方が多いかもしれません。

もちろん、そのような使い方もできます。

しかし、私がAIとの対話を通して得たものは、それとは少し違っていました。

AIは私の代わりに作品を制作したわけではありません。

むしろ、

  • 漠然としたアイデアを整理し、
  • 頭の中で曖昧だった概念を言葉にし、
  • 共通する構造を見つけ、
  • 作品の方向性を明確にする

ための対話相手でした。

作品を完成させることももちろん重要ですが、それ以上に大きかったのは、自分自身が何を作ろうとしている人間なのかを理解できたことです。

作品を作っているつもりだったのに、振り返ってみると、自分自身の創作哲学が少しずつ形になっていたのです。

私は何を作っていたのか

そこで、これまで制作してきた作品を改めて眺めてみました。

すると、テーマは違っていても、すべてに共通する構造がありました。

Orbital Pulseでは、重力や軌道運動を音楽へ写像する

ことを試みました。存在のDNAでは、哲学史を空間構造へ写像する

ことを目指しました。

ドビュッシー作品の分析では、楽曲を数理構造として捉え直す

ことを行いました。Phase Samplerでは、クープマン解析という動的システムの考え方を音色変化へ応用する

ことを試みました。

対象はすべて違います。

しかし、やっていることは驚くほど似ています。

私は対象そのものを分析したいのではありません。

ある世界を、別の世界の言語で語り直したい。

そのために「写像」という方法を選び続けていたのです。

新しいものは本当に存在するのか

ここで、もう一つ長年考えてきたことがあります。

私は昔から「新しいものを作りたい」という気持ちを持っています。

しかしその一方で、「完全に新しいものなど存在しない」という考えも強く持っています。

この二つは矛盾しているように見えますが、私の中では不思議と両立しています。

例えば、生物学における突然変異を考えてみます。

突然変異というと、何かが突然生まれるような印象があります。

しかし実際には、DNAという既に存在する構造があり、そこへ紫外線や放射線などさまざまな要因が作用した結果として変化が起こります。

つまり、新しいものは「無」から現れるのではありません。

歴史の中に存在していたもの同士の相互作用によって生まれるのです。

私は、この考え方は芸術にもそのまま当てはまると思っています。

スクラッチは「無からの創造」ではなかった

そのことを考えるきっかけになったのが、ヒップホップのスクラッチ奏法でした。

スクラッチは、音楽史の中でも非常に革新的な演奏方法です。

しかし、その構成要素を分解してみると、

  • レコード
  • ターンテーブル
  • レコード針
  • モーター
  • 回転運動
  • 逆回転した音

これらはすべて既に存在していました。

新しかったのは、それらの要素そのものではありません。

レコードを「再生装置」としてではなく、「演奏する楽器」として扱ったことでした。

つまり、新しかったのは素材ではなく、素材同士の関係だったのです。

このことに気付いたとき、私は「新しいもの」とは何かについて考え直すようになりました。

「写像」とは関係性を設計することである

私が「写像」という言葉に初めて出会ったのは、学生時代に読んだウィトゲンシュタインの解説書でした。

数学では、写像とは集合の要素同士を対応付ける概念です。

しかし、私にとって「写像」は、それ以上の意味を持つようになりました。

異なる世界のあいだに、新しい対応関係を設計すること。

それが私の考える写像です。

重力を音楽として捉える。

哲学を空間として眺める。

地域を旋律として聴く。

こうした試みは、単なる変換ではありません。

それぞれの世界が持っている構造を保ちながら、別の世界の言語で表現し直すことです。

そして、その対応関係を設計した瞬間に、それまで誰も見たことのなかった現象が姿を現すことがあります。

私は今、その瞬間こそが、自分にとって最も創造的で面白い瞬間なのではないかと考えています。

新しさとは何か

ここまで、私がこれまで制作してきた作品を振り返る中で、「写像(mapping)」という考え方が自分の創作活動を貫く共通した方法論になっていることについて書きました。

しかし、ここで一つ疑問が残ります。

私は昔から「新しいものを作りたい」と考えてきました。

その一方で、「完全に新しいものなど存在しない」という考えも持っています。

一見すると、この二つは矛盾しているように思えます。

しかし、AIとの対話を続ける中で、この矛盾が少しずつ整理されてきました。

新しさとは、関係の新しさである

私は、新しい素材を探しているわけではありません。

重力は昔からあります。

哲学も昔からあります。

音楽も昔からあります。

地域文化も昔からあります。

動的システム理論も昔からあります。

私が作っている作品には、「これまで誰も見たことがない素材」が登場することはほとんどありません。

では、何が新しいのでしょうか。

AIとの対話を通じて、一つの答えが見えてきました。

新しいのは、要素ではなく関係です。

Orbital Pulseでは、重力と音楽という、それまでほとんど結び付けられることのなかった二つの世界を接続しました。

存在のDNAでは、哲学史を空間構造として眺める方法を考えました。

Phase Samplerでは、クープマン解析という動的システムの考え方をサンプラーへ応用することを試みました。

それぞれの要素は既に存在しています。

しかし、それらをどのような関係で結び付けるかは、無数の可能性があります。

私が「新しいもの」と呼んでいたものは、実は「前例のない関係性」だったのです。

ケミストリーという考え方

ここで私は、「写像」という言葉と同じくらいしっくりくる言葉を思いつきました。

それがケミストリーです。

もちろん化学そのものという意味ではありません。

異なる二つのものが出会い、反応し、それぞれ単独では存在しなかった第三のものが生まれるという意味です。

例えば、

  • 宇宙物理 × 音楽
  • 哲学 × 可視化
  • 動的システム理論 × サンプラー
  • 地域文化 × 音楽

これらは、片方をもう片方に単純に置き換えているわけではありません。

二つの構造が反応し、新しい現象が立ち現れる場を設計しているのです。

その意味では、私が行っている「写像」は、単なる変換ではなく、一種の化学反応を設計することなのかもしれません。

偶然は、本当に偶然なのか

ここで、ヒップホップのスクラッチ奏法について考えてみます。

スクラッチは非常に革新的な演奏技法でした。

では、あれは偶然生まれたのでしょうか。

ある意味ではそうです。

誰かがレコードを前後に動かしてみたことは、偶然の出来事だったのかもしれません。

しかし、その操作をすれば、その音が鳴ること自体は偶然ではありません。

レコードという媒体があり、ターンテーブルがあり、針があり、回転という物理現象がある。

その条件がそろっている以上、その音響効果は必然的に現れます。

偶然だったのは、

「誰が、いつ、その可能性を発見したか」

ということです。

私は以前から、九鬼周造の『偶然性の問題』に興味を持っていました。

そのことを思い返すと、「偶然」と「必然」は、単純な対立概念ではないように思えてきます。

ある出来事は偶然に見えても、その背景には長い歴史があります。

複数の歴史が交差し、ある条件がそろったとき、その出来事は現れます。

そう考えると、「偶然」は「歴史の中に現れた一つの必然」とも言えるのではないでしょうか。

AIとの対話が教えてくれたこと

私は当初、AIを「効率よく作品を作るための道具」と考えていました。

しかし、実際に得られたものは、それ以上でした。

AIは作品を作ってくれたのではありません。

私の考え方を整理し、言葉にし、時には自分でも気付いていなかった一貫性を指摘してくれました。

その結果として見えてきたのは、「私は何を作ってきたのか」ということ以上に、「私はなぜそのような作品を作るのか」ということでした。

AIとの対話を通して、私は自分自身の創作哲学を発見していたのです。

ポイエーシスという視点

ここで思い出したのが、「ポイエーシス」という古代ギリシャ以来の概念です。

アリストテレス以来、この言葉は「制作」や「創造」を意味してきました。

さらにハイデガーは、この概念を、単なる「ものづくり」ではなく、「何かが前へともたらされ、隠れていたものが姿を現す出来事」という文脈で読み直しました。

もちろん、私の創作がそのままハイデガーの議論と一致するわけではありません。

しかし、この考え方には深く共感します。

私の作品は、無から何かを発明するものではありません。

重力という物理法則。

哲学史という歴史。

音楽という文化。

数学という形式。

それらは昔から存在しています。

私が行っているのは、それらを新しい関係で結び直し、それまで見えていなかった可能性を少しだけ前へともたらすことです。

その意味で、創作とは「世界に何かを付け加えること」ではなく、「世界の中に潜んでいた可能性を別の形で現れさせること」なのかもしれません。

写像という創作方法

ここまで考えてきて、私はようやく自分の創作活動を一つの言葉で説明できるようになりました。

私は作品を作っているというよりも、

異なる世界を写像する方法を設計しているのです。

重力を音楽へ。

哲学を空間へ。

数理構造を音楽分析へ。

地域文化を旋律へ。

そして、その写像によって、それまで存在しなかった関係が生まれます。

私は、その瞬間を見てみたいのです。

だから、新しいものを求めていると言っても、無から何かを生み出したいわけではありません。

歴史を尊重し、既に存在する構造を受け止め、そのあいだに新しい橋を架ける。

その橋を渡った先で、これまで見えなかった景色が現れる。

それが、私にとっての創作です。

おわりに

今回、AIとの対話を続ける中で、私は思いがけず、自分自身の創作哲学に出会いました。

作品を作ることが目的だと思っていたはずが、気が付けば「なぜ自分はそのような作品を作るのか」を考えるようになっていました。

おそらく、これからも作品ごとにテーマは変わっていくでしょう。

宇宙物理を扱うこともあれば、哲学や地域文化、あるいはまったく別の分野に関心が向くこともあると思います。

しかし、その根底に流れる方法論は、おそらく変わりません。

私はこれからも、異なる世界を写像し、それらを結び付けることで、新しい関係が立ち現れる瞬間を探求していきたいと思います。

そして、その探求を支えてくれる最良の対話相手の一人が、AIなのだと思っています。

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