ミュージシャンは「楽器」を作り始めている: 生成AIはミュージシャンの仕事を奪わなかった

Sunoのような音楽生成AIの登場によって、「ミュージシャンの仕事は奪われるのではないか」という不安が広がっています。その不安には、たしかに現実味があります。かつては作曲ができなかった人でも、いまではプロンプトを入力するだけで、かなり完成度の高い楽曲を生成できます。音楽理論を知らなくても、楽器を弾けなくても、DAWを扱えなくても、数分で「それっぽい曲」を作ることができます。

しかも、その曲がバイラルヒットする可能性すらあります。たとえば2026年には、非日本語圏の音楽生成AIユーザーによって制作されたJapanese Funk系の楽曲「MONTAGEM HIKARI」がバイラルヒットしました。これまで音楽制作の外側にいた人が、生成AIを使って楽曲を作り、それが多くの人に聴かれる。こうした流れは、おそらくもう止められません。

この状況だけを見ると、「作曲家はいらなくなる」「ミュージシャンの仕事はAIに奪われる」と考えたくなります。しかし、実際にミュージシャンたちの反応を見ていると、事態はそこまで単純ではありません。むしろ、私が思っていた以上に、ポジティブな方向に動いているように見えます。

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

AIは作曲を奪うのか

生成AIが得意なのは、量産すること、整えること、それっぽく作ること、短時間で成果物にすることです。BGM、広告用音源、短尺動画向けの音楽、ムード重視の楽曲、ジャンルの型に沿った曲などは、AIによってかなり代替されていくでしょう。

この意味では、生成AIがミュージシャンの仕事の一部を奪う、という見方は間違っていません。ただし、それは「音楽家の創造性そのものが不要になる」ということとは違います。音楽家がやっていることは、単に音を並べることだけではありません。音を探すこと、質感を選ぶこと、演奏すること、録音すること、編集すること、聴取体験を設計すること。そして、自分の頭の中にある音を、どうにかして現実の音に近づけていくこと。そう考えると、生成AIはミュージシャンの敵というより、むしろ新しい道具として見えてきます。

生成AIを肯定しているのは、実験音楽家だけではない

生成AIと音楽の話になると、どうしても「一部のテクノロジー好き」や「実験音楽家」の話として受け止められがちです。もちろん、そうした人たちが新しい技術に早く反応するのは自然なことです。菊地成孔さんのように、もともと批評性や実験性の強い音楽家がAIに反応していることも、その流れのひとつとして理解できます。

菊地成孔は、AIによる作曲についてかなり早い段階から肯定的に語ってきました。2023年のイベントでは、AIによる作曲について「100%肯定」と紹介されており、電子楽器やドラムマシンが登場してもドラマーの仕事がなくならなかったように、AIが音楽家の仕事をすべて奪うわけではない、という趣旨の発言をしています。また、近年の記事でも、AIを「楽器」の延長として捉える視点が紹介されています。(webgenron.com)

ただし、今回とくに印象的なのは、生成AIを肯定的に受け止めているのが、菊地成孔のようなマニアックで批評的な音楽家だけではないという点です。Galileo Galileiのフロントマンである岩井郁人も、生成AIに対してかなり前向きな姿勢を示しています。岩井郁人は、裏方のエンジニアでも、純粋なソフトウェア開発者でも、狭義の実験音楽家でもありません。J-POP/ロックの中心に近い場所で活動してきたミュージシャンです。その人が、AIを「新しい楽器」「新しいスタジオ」「新しい工房」として捉えていることは、かなり象徴的です。

m-floも同じ文脈で見ることができます。m-floの☆Taku Takahashiさんは、生成AIを活用した音楽制作セミナーに関わっており、生成AIとDAWやコントローラーを組み合わせた制作手法についてレクチャーする企画も行われています。(Rittor Music) また、m-floの「You Got This」のミュージックビデオでは、Kling AI、Vidu、Grok、Higgsfieldなど複数のAIテクノロジーが活用され、人間の編集・構成とAI生成表現を組み合わせたハイブリッドな映像として制作されています。(エイベックス・ポータル)

つまり、生成AIの受容は、すでに一部のテック好きや実験音楽の領域だけの話ではなくなっています。J-POPの中心に近い場所で活動してきた音楽家たちも、AIを単なる脅威としてではなく、自分の表現環境を広げる道具として受け止め始めています。

ミュージシャンはAIで「楽器」を作り始めている

ここで重要なのは、生成AIの使われ方が「AIに曲を作らせる」だけではないということです。いま、ミュージシャンたちは生成AIを使って、自分のための楽器や音楽ソフト、DAWプラグインを作り始めています。これは非常に大きな変化だと思います。

これまでミュージシャンは、DAWやプラグイン、シンセサイザー、サンプラー、エフェクターなどの音楽ソフトに依存してきました。しかし、多くのミュージシャンはプログラマーではありません。だから、「こういうリバーブがほしい」「こういうシンセがあれば、自分の音楽に合う」「この操作がもっと直感的ならいいのに」「既存のプラグインでは、自分のほしい質感に届かない」と思っても、それを自分で作ることは難しかったのです。

音楽家は音を扱うプロではあっても、ソフトウェア開発のプロではありません。そのため、音楽制作の道具については、基本的に誰かが作ったものを使うしかありませんでした。しかし生成AIによって、この状況が変わり始めています。Claude CodeやCodexのようなツールを使えば、プログラミングの専門家ではないミュージシャンでも、自分のための音楽ソフトを試作できるようになってきたからです。

これは単なる便利機能ではありません。ミュージシャンが、音楽ソフトの「利用者」から、音楽制作環境そのものの「制作者」へ移り始めている、ということです。

AIは「新しい楽器」であり「新しい工房」である

岩井郁人さんの言葉は、この変化をとてもよく表しています。岩井さんは、AIに音楽家の仕事が奪われるという見方について、「半分正しく、半分違う」と述べています。テクノロジーはいつも人間の能力を拡張してきた。産業革命は身体の限界を広げ、インターネットは発信の限界を広げた。そしてAIは、表現の限界を広げるものだ、という見方です。

もちろん、AIに置き換わっていく作業はあります。量産する、整える、それっぽく作る、短時間で成果物にする。そうした作業としての音楽は、AIが強い領域です。しかし、音楽そのものが好きで、聴きたいから聴く、弾きたいから弾く、作りたいから作る、音を探したいから探す。その衝動は、AIに代替できません。

岩井さんは、AIを「新しい楽器」であり、「新しいスタジオ」であり、「新しい工房」だと表現しています。そして実際に、Claude CodeやCodexを使って、リバーブやアナログモデリングシンセを開発していると述べています。曲を作る、演奏する、録音する、映像を作る。そして、楽器そのものを作る。頭の中に鳴っている音があれば、それを形にできる時代になり始めている、というわけです。

この視点は、生成AIと音楽の関係を考えるうえで非常に重要です。AIは、ミュージシャンを置き換えるだけのものではありません。むしろ、ミュージシャンが自分の表現環境を自分で作るための工房になりつつあります。

AI作曲を否定する人は、AI製プラグインをどう見るのか

この問題は、AI作曲への賛否だけでは整理できません。たとえば、AIに曲を作らせることには抵抗がある人でも、AIを使って自分専用のプラグインを作ることまで否定できるでしょうか。AIで作られた曲には違和感がある。しかし、AIで作られたリバーブやシンセやドラムプラグインを使うことはどうなのか。

ここには、かなり面白い論点があります。音楽制作には、いくつものレイヤーがあります。曲を書く、演奏する、録音する、ミックスする、マスタリングする、音源を作る、プラグインを作る、制作環境を設計する。生成AIは、そのすべてに関わりうるのです。

だから問題は、「AIを使うか、使わないか」という単純な話ではありません。重要なのは、どの作業をAIに任せるのか、どこに人間の判断が残るのか、どのレイヤーで創造性が発揮されるのか、ということです。AIに曲を丸投げすることと、AIを使って自分のための楽器を作ることは、同じ「AI利用」でも意味がかなり違います。後者の場合、AIはミュージシャンの代替物ではありません。ミュージシャンの手を拡張する道具です。

屋敷豪太の事例:AIで過去の音を再構築する

屋敷豪太の事例も象徴的です。Claudeを使って自作ドラムプラグインを開発し、Yamaha TX16W、TX802、QX3など、1980年代後半に使っていた機材を再編集し、当時の録音環境を再現しようとしています。これは単に「AIで新しい音を作る」という話ではありません。むしろ、過去の自分の音楽環境を、AIを使って再構築する試みです。

生成AIというと、どうしても未来的なもの、新しいもの、未知のものを作る技術として語られがちです。しかし、AIは過去の音を再構築するためにも使えます。かつて使っていた機材、当時の録音環境、自分の身体に染みついたグルーヴ、昔の制作現場の質感。そうしたものを、いまの技術で再び手元に引き寄せることができるのです。

これは、AIが単なる自動作曲ツールではなく、音楽家の記憶やアーカイブを再編する道具にもなりうることを示しています。

生成AIは、音楽家の創造欲求を奪えない

ここで改めて考えたいのは、生成AIはミュージシャンの仕事を奪うのか、という問いです。おそらく、奪う部分はあります。量産的な作曲、汎用的なBGM、型にはまったアレンジ、短時間でそれらしいものを作る作業。こうした領域では、AIはかなり強いです。

しかし、それでも生成AIは、音楽家の創造欲求そのものを奪うことはできません。音楽家は、ただ成果物がほしいだけではないからです。音を探したい。自分の手で触りたい。演奏したい。試したい。失敗したい。偶然に出会いたい。自分の頭の中にある音を、どうにかして外に出したい。その衝動は、AIによって消えるものではありません。

むしろ、生成AIはその衝動の向かう先を増やしています。曲を作るだけではなく、楽器を作る。演奏するだけではなく、演奏環境を作る。録音するだけではなく、録音環境を再構築する。既存のプラグインを使うだけではなく、自分のためのプラグインを作る。生成AIは、ミュージシャンの創造性を終わらせるのではなく、その射程を広げています。

音楽評論家こそ、音楽生成AIを使うべきではないか

少し話はそれますが、音楽生成AIは、音楽評論家こそ使うべきだと思います。なぜなら、Sunoのような音楽生成AIでは、言葉による指示が非常に重要になるからです。ジャンルの理解、音楽史への参照、比喩の精度、構成の感覚、音の質感を言葉で指定する能力。こうしたものは、まさに音楽評論家が持っている能力に近いものです。

音楽評論家は、音楽を言葉で捉えるプロです。ならば、その言葉を使って音楽を生成してみることは、評論の新しい形式になりうるのではないでしょうか。ニーチェも作曲していました。アドルノも作曲していました。シューベルトやドビュッシーの評論文も残っています。音楽について語る人が、音楽を作ってはいけない理由はありません。

むしろ、音楽生成AIは、批評家の音楽観を音として露出させる装置になるかもしれません。「この人は、こういう言葉で音楽を捉えていたのか」「この評論家が考えるファンクとは、こういう音なのか」「この人が言う未来的なポップスとは、実際にはこういう響きなのか」。そうしたことが、音として見えてくる可能性があります。これは、音楽批評にとってもかなり面白い可能性だと思います。

問題は残る

もちろん、生成AIを無条件に礼賛するつもりはありません。環境負荷の問題はあります。既存作品の学習をめぐる権利問題もあります。配信サービスにAI音源が大量流入する問題もあります。人間の仕事が実際に減る領域もあるでしょう。また、AIによって作られた音楽が大量に流通することで、音楽の価値がさらに薄まっていく可能性もあります。

だから、生成AIはすばらしい、すべて歓迎すべきだ、と言いたいわけではありません。ただ、それでも表現者の側から見ると、生成AIは単なる脅威ではありません。少なくとも、ミュージシャンたちは思っていた以上に、生成AIを楽しんでいます。そして、それを自分たちの創造性を広げる道具として使い始めています。

生成AIによって可能性が広がったミュージシャン

生成AIは、ミュージシャンから作曲という作業の一部を奪うかもしれません。しかし、それはミュージシャンから創造性を奪うこととは違います。むしろ、生成AIによって、ミュージシャンは新しい可能性を手に入れつつあります。

自分のための楽器を作る。自分のためのプラグインを作る。自分のための制作環境を作る。過去の音を再構築する。頭の中に鳴っている音を、これまでよりも直接的に形にする。これまでミュージシャンは、音楽ソフトに依存していました。しかし、生成AIによって、その音楽ソフト自体を自分で作れる時代が近づいています。

これは、音楽家にとってかなり大きな変化です。生成AIは、音楽家を終わらせるものではありません。少なくとも、音楽が好きで、音を探したくて、自分の表現を形にしたい人にとっては、生成AIは敵ではありません。それは、新しい楽器であり、新しいスタジオであり、新しい工房です。そして何より、ミュージシャンの可能性を広げる道具なのです。

【スポンサーリンク】
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

関連コンテンツとスポンサーリンク

【関連コンテンツとスポンサーリンク】



【スポンサーリンク】
スポンサーリンク