本サイトの西洋音楽史、今回から中世の音楽がテーマです
全体の目次はコチラです。
また、古代ギリシアに代わってヨーロッパを支配した古代ローマは、音楽的に目立った業績を残さなかったと言われています。
目次
キリスト教と音楽
ただ古代ローマでは、西洋音楽史にとって非常に重要な出来事が起こりました。それがキリスト教の誕生です。
キリスト教の典礼音楽は、中世の音楽において最も中心的な役割を果たしていたとそうです。また、中世以後の西洋音楽の方向を決定づけたとも言われています。
キリスト教の誕生の背景には、ユダヤ教があります。したがって、キリスト教の典礼音楽においても、ユダヤ教の影響があるのは当然です。例えば、
- 音楽を重視する姿勢
- 無伴奏の歌のみを用いる習慣
- 礼拝の形式
などです。
古代ギリシアからの影響
また、中世の音楽観はキリスト教によって支えられてはいましたが、古代ギリシアの数理論・象徴論・エートス論などが、様々な解釈を施されながら、受け継がれています。
音楽を学問の対象として扱う考え方においても、古代ギリシアの影響がみられます。例えば、古代と中世の音楽観を繋ぐ役割を果たした音楽家として、ボエティウス Anicius Manlius Torquatus Severinus Boethius が挙げられます。
ボエティウスは音楽を次の3種類に分類しました。すなわち、
- ムシカ・ムンダーナ(宇宙の音楽、天体の運行における調和)
- ムシカ・フマーナ(人間の音楽、魂と肉体の調和)
- ムシカ・インストゥルメンタリス(道具あるいは器官の音楽、器楽と声楽)
です。
ボエティウスによると、実際に耳で聴くことのできるのは「ムシカ・インストゥルメンタリス」のみです。そして「ムシカ・インストゥルメンタリス」は、「ムシカ・フマーナ」と「ムシカ・ムンダーナ」の模像に過ぎないと考えました。
また、12世紀頃に発足した中世の大学では、音楽は7つの自由学科のなかの4学科として扱われていました。ここでもやはり、音楽は学問である、という古代ギリシアからの影響があると考えられます。
教会音楽と世俗音楽
中世の「音楽観」については、かなり早い時期のものがわかっていると言われています。しかし、「音楽そのもの」が明らかになるのは9世紀頃だというのが通説のようです。
しかし、9世紀頃の音楽が全て明らかになっているわけではありません。当時の音楽で現在明らかになっているのは、多くは教会音楽のみです。しかしこれは、単に歴史的資料が現存しているから、という理由だけであって、9世紀頃には教会音楽のみが存在し、世俗音楽が存在しなかった、という事態を指しはしません。
グレゴリオ聖歌
教会音楽のなかでも最も重要な役割を果たしていたのは、「グレゴリオ聖歌」です。
グレゴリオ聖歌には「重層で厳粛な雰囲気」があるとしばしば言われます。また、その雰囲気は、12世紀頃まで栄えたロマネスク様式の教会建築と類似しているところがあると指摘されます。
また、13世紀のアルス・アンティクア Ars Antiqua の音楽は、「複雑な構造を持つ」ゴシック様式との協会建築と類似点が多いと言われています。
このような類似性から、西洋音楽における単旋律音楽から多声音楽へ、という音楽上の変化は、ロマネスク様式からゴシック様式へ、という建築上の変化と呼応しているようだ、と言われます。
中世の器楽
現存する資料から判断すると、中世においては13世紀頃までは、器楽はほとんど目立たなかったのではないか、と言われています(もちろん器楽が全くなかった、というわけではなく、各種の楽器が残され、また、楽器を演奏している絵画も残されてはいます)。
13〜14世紀にかけて残っている最も古い器楽の代表は、エスタンピー estampie という舞曲です。
参考文献
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』