西洋音楽史、中世の5回目です。前回までで中世音楽における「多声音楽」=「オルガヌム」の発展から、「モテット」の誕生まで、年代的には、9世紀〜14世紀までをみてきました。
今回は前回の言わば続きのような位置づけで、14世紀の音楽、特にフランス、イギリス、イタリアをみていきたいと思います。
目次
フランス
『アルス・ノヴァ』
14世紀フランスでは、新しい音楽への動きが起こりました。この「動き」をまとめたのが、ヴィトリ Philippe de Vitry の理論書『アルス・ノヴァ』Ars nova(1320年ころ)だと言われています。
これは新しい記譜法についての理論書ですが、記譜法を新しくしなければならない、ということは、旧来の記譜法では記譜できない新たな音楽への動きがあった、ということの証明でもあります。
この点に注目して、14世紀フランスの音楽は「アルス・ノヴァ(新しい技法)」の音楽と呼ばれたようです。これに対し、13世紀のモード・リズムによる音楽は「アルス・アンティクア(古い技法)」Ars Antiqua の音楽と呼ばれたと言われます。
ギョーム・ド・マショー
アルス・ノヴァの代表的な音楽家は、ギョーム・ド・マショー Guillaume de Machaut です。彼の音楽の主要なジャンルは、バラード、ロンドー、ヴィルレーなどの世俗歌曲です。
マショーはミサ曲を1曲だけ残しています。《ノートル・ダム・ミサ》(1364?)です。
この楽曲は、西洋音楽史上極めて重要な意義を有していると言われます。何故なら、現存する資料によると、ミサ通常文をひとつのまとまった作品として通して作曲したのは、マショーの《ノートル・ダム・ミサ》が初めてと言われているからです。
また音楽的には、当時は3声部が一般的でしたが、《ノートル・ダム・ミサ》は4声部で書かれています。
イタリア
中世フランスの音楽が進歩的であったのに対し、イタリアはどちらかというと保守的でした。
イタリア音楽はしばしば、美しい旋律線を強調する点に、その特徴があると言われます。中世イタリアでも同じように、単旋律音楽が好まれる傾向が強かったそうです。教会音楽・世俗音楽問わずに、少なくとも13世紀までは、多声音楽への目立った動きは見受けられませんでした。
しかし14世紀、イタリア音楽はトレチェント trecent の音楽と呼ばれ、世俗音楽の分野で2声部もしくは3声部の作品が書かれるようになります。フランスのアルス・ノヴァからの影響を受けて書かれるようになったと言われていますが、アルス・ノヴァに比べると、中心となる旋律の美しさに音楽的な関心が集中していたそうです。
代表的な音楽家として、ランディーニ Francesco Landini が挙げられます。
イギリス
イギリス風ディスカントゥス
イギリスは12世紀から13世紀にかけて、音楽的に重要な国でした。当時の一般的な状況に比べると、かなり高い水準の楽曲が残されています。例えば、《夏が来た》という楽曲は、6声部の音楽でした。
14世紀後半から15世紀前半にかけてのイギリスでは、フランスと同じように個性的な音楽が作り出されていました。
例えば、3声部の音楽において、3度(「ド」に対して「ミ」)と6度(「ド」に対して「ラ」)を多用しながら旋律を重ねていくという、イギリス風ディスカントゥス Discantus と呼ばれる技法が好まれていました。
このような、イギリスにおける三和音の柔らかい充実した響きを重視する感覚は、15世紀の大陸(イギリスに対し、ヨーロッパ大陸)で流行したフォーブルドン Fauxbourdon という技法に影響を与えたと言われています。フォーブルドンとは、6つの和音が連続するように旋律を重ねる技法のことです。
ダンスタブル
14〜15世紀イギリスの代表的音楽家は、ダンスタブル John Dunstable です。
ダンスタブルは、フランス滞在期間が長かったため、大陸音楽からも影響を受けました。その結果、イギリスの音楽と大陸の音楽を融合させ、そして中世に続いて来るべき「ルネサンス音楽」の方向を指し示すような楽曲を残しました。
3声部のオペラ、《おお、美しいバラよ》は、ダンスタブルの作品だと考えられています。
参考文献
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』