西洋音楽史、ルネサンスの3回目です。
さて、前回では15世紀ブルゴーニュ楽派の音楽について取り上げました。
しかしブルゴーニュ公国は1477年、フランスに併合されてしまいます。その結果、地理的にブルゴーニュ公国と重なる部分の多いフランドル Vlaanderen 地方の作曲家たちへ、ブルゴーニュ楽派の伝統が受け継がれていきます。
フランドル楽派
フランドル 地方の作曲家たちは、フランドル楽派と呼ばれています。彼らなかでも最初の重要な作曲家は、オケヘム Johannes Ockeghem です。代表作の1つに、
- 《レクイエム》
があります。彼の《レクイエム》は、現存する最古の多声レクイエム Requiem です。
※レクイエム: ラテン語で「安息を」という意味で、様々な意味で用いられます。
(1)死者の安息を神に願うカトリック教会のミサ(死者のためのミサ(Missa pro Defunctis))(2)(1)のミサで用いられる聖歌、またこれを構想にしてにして作られた楽曲。死者ミサ曲、死者のためのミサ曲などと訳されます。なお、鎮魂曲とも訳されることがありますが、レクイエム自体には「鎮魂」の意味はありません。
(3)宗教的な意味を離れて、単に「葬送曲」「死を悼む」という意味。
オケヘムの進歩的な特徴は、各声部が対等に扱われ、それぞれの旋律が互いに独立して動くことができるようになった点であるです。
各声部が対等に扱われているのに加え、各フレーズの区切り方は自由で、旋律の終止の仕方も一致しないこと多いため、各声部が複雑に絡み合い、音楽が普段に流れ続けるような印象を受ける、という聴かれ方もあります。
ジョスカン・デプレ
フランドル楽派最大にして、ルネサンス期頂点に位置する音楽家は、ジョスカン・デプレJosquin Des Prez だと言われています。
ジョスカンは、15世紀の国際的な音楽様式を洗練させ、「通模様様式」を確立しました。
模倣はすでにデュファイの頃から使用されていはいました。
しかしジョスカンは、楽曲全体にわたり模倣を使用することにより、作品に音楽的な統一感をもたらそうとしました。結果、音楽的に自然な流れが生じ、しかも各声部の間に調和と均衡といった独特な効果が生まれました。この通模倣様式を理解するために最適な作品が、モテット《アヴェ・マリア》Ave Mariaです。
またジョスカンは、歌詞の意味内容に従って旋律の正格を考え、楽曲構成の仕方や音楽様式を決定することが多かったそうです。この為、ジョスカンは「ムシカ・レセルヴァータ」、つまり歌詞の内容表出を重視する創作態度の代表者だとも言われています。
国際的なルネサンス音楽
「ルネサンス(2)ブルゴーニュ楽派」でも触れましたが、15世紀の音楽家たちは決して、ブルゴーニュ公国やフランドル地方に留まって音楽活動を行っていたわけではありません。彼らが活躍した場所は、特定の地方・国に限定されないと言われています。
ルネサンス期の音楽は、音楽様式的にも国際的でした。つまり、時折イギリスの影響を受けつつ、主としてブルゴーニュ的・フランドル的要素(北方的要素)と、イタリア的要素(南方的要素)が融合されていったものでした。