音楽史と舞踏史

田村和紀夫『音楽とは何か ミューズの扉を開く七つの鍵』(2012年、講談社)「第4章 音楽はリズムである」のノートです。なお、当エントリー中の引用部分は、特に断りのない限り同書からになります。以下も参考にしてください。

さて、前回のエントリー「拍子と表現」では、西洋において記譜法が発展するに連れて、音楽におけるリズム法は精妙になっていった(p. 105)、という田村のリズムについての考え方をみました。ただ、これに関しては、記譜法が発展・確立する以前は、田村和紀夫のいう「精妙なリズム」を書き記す手段がなかっただけなのではないか、という意見が出てきそうですが。いずれにせよ、実証することはできません。

今回のエントリーは、リズムの発展と西洋音楽の発展に関連して、「舞曲」がテーマの部分(p. 109)を読んでみてみたいと思います。

田村和紀夫はクルト・ザックス Curt Sachs を引用して踊りに対する考え方を次のように述べます。

「ザックスは「すべての踊りはリズミックなモティーフの種子のなかから発芽してきたようである」と書いています。あのフィガロの「リズミックなモティーフ」こそ「すべての踊りの種子」そのもののようです。逆にいえば、こうした「種子」が成長し、様式化されて、踊りが誕生したのかもしれません」(p. 109)

なお、この田村和紀夫によるザックスの引用は、『世界舞踏史』からだそうです。

んー、ちょっとですねえ、「音楽」という単語もそうですが、「踊り」という単語もちょっと気をつけないといけないかもしれないっすねえ。「踊り」と言ってしまうと、まあ、かなり種々ありますから。ただワタシ、踊りについてはあまり詳しくないので何とも言えないところがあるんですが、とりあえず西洋舞踏? ということでよろしい? のでしょうか。そもそも西洋舞踏なんていう言葉が正式なそれかどうかも分かりません(笑)

はい、これを踏まえてここから、田村和紀夫による「舞踏史」の説明が始まります。

「西洋の舞踏史は音楽史以上に深い闇に閉ざされています。資料が少なく、また踊りを表記する歴史も浅く、その方法も一般化されにくかったからです。しかし、たとえばキリスト教のもとでグレゴリオ聖歌が君臨した中世にあっても、踊りのための音楽が存在したことは間違いありません。いくつかのエスタンピー(舞曲に由来する器楽曲)の写本からわかるだけではありません」(p. 109 – 110)

あ、思いっきり「西洋の」って枕がついてますね。では田村が本書で述べている「踊り」とか「舞踏」とかいうのは基本的に、「西洋の」が枕についていると考えて良いのでしょうか。少なくとも、第4章に関しては問題なさそうです。

要するに、舞踏史を正確に記述するのは音楽史以上に難しいけれども、少なくともグレゴリオ聖歌の時代 = 中世には踊りのための音楽が存在したと言えますよ、と、そういうことです。

非常にですね、これ、「踊り」が絡んでくると、音楽について言葉にするのがこれまで以上に厄介になりますね。「踊るための音楽」というのは、作曲者の意図した「踊るための音楽」なのか、とか、作曲者の意図しないレベルで聴き手が「踊るための音楽」と認めた音楽なのか、とか、あらゆる段階で「そもそも踊るための音楽とは何か」という問いが提出されてしまいます。

が、ちょっとこの辺の問いは無視して(笑)、というか問いというかワタシの悪いクセなんですけど(笑) 「そもそも」って言いたいだけですので(笑)

ただ、「~のための音楽」とか、「~についての音楽」とかいうふうに、「目的・対象の限定される音楽はどのようにして限定されるのか」という問いにつながって、これは少し面白そうですね。いずれ課題として取り組んでみたいと思います。


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