音楽会の変化

金沢正剛(2010)『新版 古楽のすすめ』(音楽之友社)を参考に、自分なりに「古楽」について学んでいるところです。

さて、音楽会についてなかなか興味深い記述がありました。

「今日のように、聴衆が切符を購入した上で、音楽会場に行って演奏を聴くという習慣が定着したのも、バッハ以後の話である」(金沢正剛(2010)『新版 古楽のすすめ』音楽之友社p. 31)

文脈的には、「古楽とは何か」という、「古楽の定義」についての章の中の話題です。今日のような音楽会(もっと広く言えば、コンサート、そして、ポピュラー音楽におけるライブ、ギグ、クラブ、イベント、フェス・・・)スタイルが定着したのは、「バッハ以後」であるから、「古楽」を時代的に区分する際には「バッハが境」になるよ、ということです。

しかし、この「音楽会」についての部分は、「古楽」を離れて、こんにちの音楽活動において非常に重要な提言として読み取ることができるかもしれません。つづいて、音楽会についての記述を引用します(以下、お前それ、曲解だろ! というツッコミを頂けないほど、思い上がった内容になっています)。

「それ以前〔引用者注 バッハ以前〕は、音楽を聴くためには、教会に行くか、宮廷や上流階級の館に招かれるか、自分たちで仲間を集めて演奏するしかなく、ほかにあまり道はなかった」(同書 同ページ)

つまり、バッハ以前には、こんにち当然であるとされる、ステージに立つ、そのためにチケットを売るという行為、そしてそれが最上の音楽パフォーマンスであるという考え方が確立していなかった、ということでしょう。

私もロックバンドをしていると、「ライブはいつやるの?」「ライブやるんだったらちゃんと金額設定した方が良いよ」「ちゃんとおカネもらってやるからちゃんとたライブやろう、ていう気になるんだよ」とか、まあ、いろいろと諸先輩方から暖かいお話を頂くのですが(笑)、そういう考え方は、言ってしまえば、近代以降の産業社会において浸透していった考え方で、それ以外の考え方というのがある。そして、それを否定してはならないし、 自 分 た ち で わ い わ い や っ て い る 音 楽 が 「 し っ か  り し て い な い 」 と か 、 「 ち ゃ ん と し て い な い 」 と 言 う(言われる) 権 利 な ん て 、 誰 も 持 っ て い な い 、と。

また、ライブをするにしても ス テ ー ジ か ら 見 下 ろ す みたいな感じではなくて、 聴 衆 と 同 じ 視 点 に 立 っ て しなければならない、と。

そういう提言として、この部分が読み取れるわけです(だからそれ、曲解だろ、曲解)。


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