西洋音楽史の出発点、古代ギリシアについての6回目です。
西洋音楽史の目次はコチラになります。
今回は、前回のプラトンの弟子であるアリストテレスを取り上げます。アリストテレスと言えば、ソクラテス、プラトンとともに最重要哲学者としてしばしば取り上げられます。また、その幅広い学問的業績から、「万学の祖」とも言われます。このようなアリストテレスはまた、音楽についても論じていました。
アリストテレスの音楽論は、『政治学』で読むことができます。
「天体のハルモニア」といわれるピュタゴラス派の考え方に影響を受けたプラトンと比べて、アリストテレスの音楽論はもう少し現実的です。
音楽の3つの側面
『政治学』においては先ず、音楽の本質が議論されます。
アリストテレスによると音楽には、
- 遊戯や休息としてのみ役立つもの、
- 徳を形成するための重要な教育手段となるもの、
- 高尚な楽しみや知的教養として貢献するもの、
という3つの側面があります。
特に「高尚な楽しみや知的教養として貢献するもの」としての音楽という考え方は、今日の言わば芸術としての音楽の始まりを見出すことができるのではないでしょうか。
音楽教育
では、実際に音楽を演奏する場合には、どのようにしてどこまで習得するべきなのでしょうか。アリストテレスは、コンクールに出る程の専門的な教育は否定します。しかし、或る程度の初歩的な歌唱や楽器の知識を得ることは必要だとしています。なぜなら、演奏という言わば作業に加わった経験がなければ、正しく物事を判断できない、音楽についても正しく判断できないからです。
このような考え方からアリストテレスによると、音楽教育のために用いられるべき楽器としては、聴き手を善い人間とするのに役立つ限りのものを受け入れます(この考え方も、現代に受け継がれているのではないでしょうか。例えば日本であれば、かつてフォークギターやエレキギターが、そして最近であればターンテーブルといった楽器およびこれに関わる環境というのが、「善い人間とするのに役立つ」とは判断されていませんでした)。
音階論
それでは、「善い人間とするのに役立つ」ためには、どのような音階がふさわしいのでしょうか。
アリストテレスは、「ドリス音階」(ミレドシラソファミ。※ギリシアの音階は一般に下方形で示されます)がもっとも落ち着きがあり、かつ、もっとも男性的である、つまり、両極端の特徴があり、だからこそ「中庸」であるとして、賞賛します。
逆に「ふさわしくない」音階は、「フリギュア音階」(レドシラソファミレ)です。アリストテレスによると「フリギュア音階」は、非常に興奮させやすく、感情的です。楽器で言えばアウロス(古代ギリシアの管楽器)が「フリギュア」的な性格を持っています。このように、「フリギュア」は、プラトン音楽論では「勇気と節制の美徳を鼓舞する」とされ積極的な音階として評価されていましたが、アリストテレスでは消極的な評価に留まりました。
今回はアリストテレスの音楽観について紹介しました。次回はアリストクセノスについて紹介します。
参考文献
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』