本サイトでは現在、西洋音楽史についてまとめています。
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なお、西洋音楽全体の目次はコチラ。
目次
さて、初学者向けの西洋音楽史をテーマにした書籍は大きく分けると、「中世グレゴリオ聖歌から始まるもの」、「それ以外から始まるもの」に分かれます。グレゴリオ聖歌から始まるのは、現代まで影響のある記譜法、すなわち楽譜の書き方および、これに関連した音楽理論のスタート地点だからだと言われています。
ただ、現代のポピュラー音楽にまで影響を及ぼしている音楽理論の始まりを歴史的に遡っていくと、古代ギリシアまでたどることができることも、初学者向けの音楽理論史では通俗的な知識として紹介されています。つまり、当たり前かつ見落としがちなのは、グレゴリオ聖歌以前/以外にも音楽は存在していた、ということです。
ということで、本サイトでは、西洋音楽史についてみていくにあたり、古代ギリシアからみていきたいと思います。
なお、本サイトの西洋音楽史関連のエントリーは、以下も参考にして下さい。
前置きが長くなりましたが、古代ギリシアの音楽がどのようなものだったのかをみていきましょう。
music の語源
西洋音楽史のスタート地点として古代ギリシアが取り上げられるのは、現在確認できる範囲で音楽理論の始まりを古代ギリシアに求めることが出来ることだけが、理由ではありません。特に、(コレはいわゆる「人文学」にお得意の方法ですが、)「語源的」にも西洋音楽史のスタート地点は古代ギリシアに遡ることが出来るのです。
つまり、現在、日本でも幅広く使われている英語、ミュージック music の語源は、ギリシア語のムーシケー μουσικη に由来している、だから、西洋音楽史のスタート地点は古代ギリシアに求められる、というわけです。ちなみに、ドイツ語のムジーク Musik、イタリア語のムージカ musica、フランス語のミュージック musique も同じように、ギリシア語のムーシケーに由来しています。
では、古代ギリシアにおいて、ムーシケーは音楽「だけ」を指していたのかというと、そうではありません。
実は、ムーシケーは音楽だけではなく、本来は詩・音楽・舞踊の三つの要素から成立していました。つまり、詩を音楽的に節づけ、集団的に踊られていたのがムーシケーだったのです。
ピンダロス
なお、詩・音楽・舞踊の三つの要素から成立していたムーシケーの作者としては、ピンダロス Πινδαρος が挙げられます。ピンダロスは現在、詩人として紹介されますが、しかし実際には、詩・音楽・舞踊の三つを全部自分で行ったと言われています。
ピンダロスが生きていたのは前6世紀後半から前5世紀前半だと言われていますが、前5世紀から前4世紀頃からは、ムーシケーの音楽の技巧的側面が発達し、詩が重要ではなくなってきます。主観的・感覚的な表現が好まれるようになったのが原因だと言われていますが、この頃に活躍した音楽家としては、プリュニスやティモテオスが現在まで伝えられています。
プラトンのムーシケー観
この、ムーシケーにおける音楽的側面の発達に対し、哲学者プラトンはあくまで言葉(詩)の重要性を主張し、伝統的なムーシケーを支持しました。
しかし、プラトンの反対にもかかわらず、その後、ムーシケーから詩・舞踊の要素がどんどん抜けていきました。そしてついに、ムーシケーは音楽「だけ」を指すようになりました。
そしてこの狭い意味 = 音楽という意味での「ムーシケー」がその後、ヨーロッパに受け継がれていくことになったのです。
次回は「古代ギリシア(2)叙事詩と抒情詩」です。
【参考文献】
- 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
- 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
- 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
- 山根銀ニ『音楽の歴史』