「ボーカロイドラップの作り方(実践編)」まで書きました

さて、以前から本サイトで予告しておりました「ボーカロイドにラップさせる方法」ですが、

だいたい3つのパートに分かれていまして、つまり、「1.フロウとは何か」「2.ボーカロイドラップの作り方(実践編)」「3.ボーカロイドラップの作り方(理論化の試み編)」、という具合に。1.と2.が、もうほとんど、誤字脱字を修正するくらいなんじゃないか的なところまでできましたので、本サイトに、コチラの URLで順次公開していきます。

「順次」というのは、けっこう長くなってしまったので、1つのエントリーに収まらなかった、これが理由です。

「理論化の試み編」は、もう少し時間がかかります。

それで、さて、ところで、この「ボーカロイドラップの作り方」、わたしが久しぶりにちゃんと真面目に書いた文章で、初めての音楽理論の文章であり(まあ、音楽理論というにはデタラメかつ初歩的も甚だしいかもですが)、かつ、わたしが初めてちゃんと真面目に書いた批評です。わたしは、音楽批評というのは、音楽と自分との関係を計りながら真剣に向き合うことであり、音楽について書いてその文章を読んでいる人のなかに音が鳴り響いいる限りそれは音が鳴っていなくても = 文章であっても音楽活動だ、そこまで書けて初めて(約体的な)批評だ、と思っていますが、わたしなりの「真剣な向き合い方」「音楽について書いた」= 批評というのが、今回の「ボーカロイドラップの作り方(実践編)」です。自分は要領が悪いので、これくらいくどくど書かないと、音楽について書いた、とは自分の基準ではなかなか言えません。まあ、それでも、リズムについてや、ボカロエディタ内でのパラメータの調声については端折ってますので、読んで頂いた方にとっては、「は? ぜんぜん音楽聴こえないんだけど?」的な反応があるかもしれません。

まあ、言い訳はこれくらいにして、こういうのが基礎になって、例えば、「じゃあ、次の段階、ボーカロイドに見出される思想とは何か」みたいな、そういうでっかいところをちょろっと書けるんじゃないか、と思ってます。

たとえば、ボーカロイドとは何かを論ずる際に、文学理論を援用して、(すでにかなり古くさいですが、)「ボーカロイドを脱構築する」(自分のなかでは、「ボーカロイドを脱構築する」をテーマに、うさんくさい批評を書けるんじゃないか的なアイデアがあります)みたいな。そういうのです。

批評とは何か、については、批評界隈がケンケンガクガクな各々の考えを提示したくてたまらない状態がいつまでもつづいている、と思うので、まあ、時間があれば、「音楽批評」に限って、自分なりの考えを(というかこのエントリーの発展形を)書きたいところで、今回は深く踏み込みません。

が、もう一度言いますが、「ボーカロイドラップの作り方」は、わたしの初めての拙い音楽理論の文章であると同時に、わたしの初めての真剣な音楽批評の第一歩です。

お時間のある方は是非、ご笑読ください。

ていうか、去年、「実際に鳴っている音楽とか、実際に鳴っていない音楽とか、そういうのにはこう、あんまり、興味はない」みたいなことをドヤ語りしておきながら、今年1月にミクちゃん買ってからというもの、ミクちゃんを実際に鳴らすことがメインになってます。しかも「音楽美学史に取り組みたい」みたいなことも書いたと思うんですが、いまんところ初音ミクにしか取り組んでいません(笑) 人生、何に興味がわくかわかりませんね!

なお、わたしが作ったボカロラップで比較的ウケが良かったのがコチラです。


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