さて、第十二章では、古楽における即興演奏がテーマなのですが、これに関連して、楽譜の役割やその歴史のようなものが説明されています。この点に関しては、以下も参考にしてほしいのですが、
そしてこのような古楽における楽譜には、
現在のように、楽譜のルールがしっかり確立していたわけではない、ということです。前回のエントリーでも引用しましたが、金澤正剛の知っている古楽演奏家たちの中には、「楽譜どおりに演奏していたとしたら、少なくともそれは誤った演奏である」(同ページ)と発言する方が多くいらっしゃるようです。
そして、前回も思ったのですが、ここからが古楽を演奏する際の厳しい面ではないでしょうか。「通奏低音」を例に、次のように述べられます。
「例えば通奏低音などというものは、非常に合理的かつ巧妙な伴奏用速記法といって差し支えないだろう。しかしそれを時代の様式に従って効果的な演奏として再現するには、記譜上の約束を充分に理解し、記されていない部分を即興的に補って演奏しなくてはならない」
この、「記譜上の約束を充分に理解し」という部分、かなりあっさり書かれていますが、相当難しい。あくまで即興で、しかしルールは守って、そしてルールは250年前のですけど? 古楽演奏家を本当に尊敬します。
続いて引用しましょう。「楽譜の役割」という節のまとめの部分です。
「いずれにしろ古楽の演奏にあたっては、楽譜絶対崇拝主義を捨てて、その作品がいつの時代に、どこで、どのような背景のもとで記譜されたかを調べ、作曲家がどのようなつもりでその楽譜を書き記したのかをじっくりと考えてみる必要ある」
楽譜リテラシー以上の、より音楽そのものに近づくかのような能力を、古楽演奏の際には働かさなければならない、ということでしょう。