前古典派の音楽(6)ロンドン

西洋音楽史、前古典派の6回目です。今回は、ロンドンにおける前古典派音楽の動向を取り上げます。

目次

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ヘンデル

イギリスでは、パーセル Henry Purcell 亡き後は国民的作曲家が生まれませんでした。

このため首都ロンドンでは、外国人音楽家が活躍しました。

ロンドンで活躍したのは、オペラ界を支配したイタリア人、そしてオペラおよびオラトリオで人気を集めたドイツ人ヘンデルでした。

J. Chr. バッハ

ヘンデルが1759年に亡くなった後は、イタリアでオペラを成功させた J. Chr. バッハ Johann Christian Bach がキングス劇場の専属作曲家としてロンドンにやってきました。J. Chr. バッハは、ロンドンに来た翌年にはオペラ《オリオーネ》Orione を上演しました。その後はオペラのみならず、交響曲やクラヴィーア曲などを出版し、ギャラント様式の発展に大きく貢献しました。

アーベル

J. Chr. バッハ以外でロンドンで活躍した音楽家としては、1759年ドレスデンの宮廷楽団から来たガンバ奏者アーベル Carl Friedrich Abel がいました。

アーベルは、J. Chr. バッハと共同でバッハ・アーベル演奏会 Bach-Abel Competition を主催したことで知られています。

クレメンティ

1766年からはイタリア人ピアニスト、クレメンティ Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi がロンドンを拠点にヨーロッパ各地で活躍しました。

クレメンティの練習曲集《グラドゥス・アド・パルナッスム》Gradus ad Parnassum は有名ですが、多くの弟子を育て、楽譜出版やピアノ製造までも手がけていました。

参考文献

  • 片桐功 他『はじめての音楽史 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで』
  • 田村和紀夫『アナリーゼで解き明かす 新 名曲が語る音楽史 グレゴリオ聖歌からポピュラー音楽まで』
  • 岡田暁生『西洋音楽史―「クラシック」の黄昏』
  • 山根銀ニ『音楽の歴史』


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